アフィリエイト広告を利用しています

ロック

ジョン・ディーコン:クイーンの根幹を司るベーシスト

ジョン・ディーコンの若い頃を描いたイラスト

ジョン・ディーコン、クイーンの"ディーキー"としても親しまれたこの静かなる天才ベーシストは、1971年の加入以来、バンドの音楽的根幹を支え続けました。

"Another One Bites the Dust"や"You're My Best Friend"など、彼が生み出した数々のヒット曲は今も世界中で愛されています。
しかし、1997年のフレディー・マーキュリーの死後、彼は音楽業界から遠ざかり、クイーンとしての公の活動からも手を引きました。

本記事では、彼の輝かしいキャリアから私生活、そして音楽界への継続的な影響まで、ジョン・ディーコンの功績の数々と足跡を網羅的に追います。

ジョン・ディーコンの生い立ち

初期の人生と音楽への目覚め

ジョン・ディーコンの音楽への旅は、1951年8月19日、イングランドのレスターで始まりました。

若い頃から音楽に囲まれた環境で育ったジョンは、早くも彼の生涯を通じての情熱となるものに出会います。
彼の音楽への最初の触れ込みは、家族のレコードコレクションを通じてでした。

ビートルズやローリング・ストーンズのレコードがよく家で流れており、これらがジョンに大きな影響を与える。
小さい頃からエレクトロニクスにも興味を持っていた彼は、自宅でステレオ機器をいじることで音響に対する理解も深めていきます。

この技術的な知識は後に、彼の音楽制作やクイーンの活動においても役立つことになりました。

性格

ジョンの性格は?
「いかなるときも優しくて穏やかな常識人!」という周囲の評判ばかりです。

実際、派手な行動や問題などの噂は全くと言っていいほど見当たらず、フレディー・マーキュリーらがクイーンにディーキーを招き入れたのも、「俺たちのように破天荒で個性派揃いのバンドには、ディーコンのような常識人が一人くらいは必要だ」といった理由からでした。

出しゃばることが苦手で、いつも笑顔で物静かな男。
クイーンでの長い活動歴の中でも、一貫してそんなイメージを持たれ続けていました。
※クイーンのメンバーの中で最年少だったので、控えめなポジションを保っていたのかも?

1984年には、なんと「笑っていいとも」にもテレビ出演し、ディーコンの優しくてお茶目な一面が日本のお茶の間にも流れましたが、イメージ通りすぎでしたね!

音楽キャリアの始まり

ジョンが真剣に音楽を追求し始めたのは、ティーンエイジャーの頃です。

彼は最初の楽器としてギターを手にし、すぐにバンドを組んで地元で演奏を始めました。音楽だけでなく学業にも優れていた彼は、ロンドン大学チェルシー・カレッジで電気工学を学びます。

大学時代には、学業と並行して音楽活動を続け、様々なバンドに参加しました。
この時期、ジョンはベースに転向し、その才能を開花させます。

大学在学中の1971年、ブライアン・メイとロジャー・テイラーによって結成されたばかりのクイーンに誘われることになります。これが、音楽史に残る輝かしいキャリアの始まりでした。

ジョン・ディーコンの生い立ちと音楽への早期からの露出は、彼がクイーンの重要な一員として、そして音楽界全体に与える影響の礎を築きました。

自宅でのレコードを聴き漁る日々から、自ら楽器を手にしての表現まで、ジョンの音楽への深い愛と才能は、彼の幼少期からすでに明らかでした。

クイーンでのキャリア

クイーンへの加入

1971年、ジョン・ディーコンは運命的な転機を迎えます。彼がロンドン大学で電気工学を学んでいた時、友人を通じてブライアン・メイとロジャー・テイラーに出会いました。クイーンはまだ新しいバンドで、ベーシストを探していたところでした。

ジョンの静かながらも深い音楽理解と技術的な才能が、ブライアンとロジャーの目に留まります
。数回のセッションを経て、彼らはジョンがクイーンにぴったりであると確信し、バンドに加わるよう誘いました。

ジョンの加入によって、クイーンのオリジナルメンバーが完全集結し、音楽史に残る旅が始まったのです。
※ジョンは、クイーンに加入した最後のメンバーです

ジョン・ディーコンの作曲:クイーン代表作としての貢献

ジョン・ディーコンはクイーンの音楽において、数々の重要な貢献をしました。

彼が作詞・作曲した"Another One Bites the Dust"は、クイーンの代表曲の一つとして、世界的なヒット!
この曲は、ディスコとロックの融合により、幅広い聴衆を魅了し、多くのチャートで1位を獲得。

さらに、"You're My Best Friend"、"I Want to Break Free"、"Spread Your Wings"など、ジョンの曲はバンドのレパートリーの中でも特に愛される楽曲となっています。

彼のメロディセンスと歌詞の才能は、クイーンの多様な音楽性を豊かにしました。
親近感のあるポップ感と、ちょっとクセがある中毒性のバランスが、ジョン・ディーコンの作曲の特徴とも言えます。

インタビューでも、「ビートルズの楽曲にも影響を受けている」と答えていることからも、ちょっとビートルズっぽい雰囲気の曲があるのも納得です。

ここでは、ジョンが主要な作詞作曲者として手がけたクイーンの楽曲を見ていきましょう!

"Misfire" (アルバム「シアー・ハート・アタック」)

この曲はディーコンがクイーンのために書いた最初の楽曲で、非常に軽快でポップです。
途中、調性がふわふわした一時転調をブチ込んでいますが、全体的には「BOSTON」の曲のような雰囲気も漂っていますね。

ベースのプレイスタイルがいかにメロディックであるかも顕著に表れており、曲全体にわたってベースラインが歌いまくっているのですが、隙間があるとベースを歌って埋めてくれるあたりは、ポール・マッカトニーのアプローチとかなり似ています。

ちなみに、この楽曲のレコーディング時にはブライアンメイが入院しており、仮でジョン・ディーコンが入れたギタートラックの大部分が残されています(アコギパートやベーシックなエレキギターパートなど)

"You're My Best Friend" (アルバム「オペラ座の夜」)

歪んだエレクトリックピアノ(ウーリッツァー)のイントロで有名なこの楽曲では、ディーコンはウォームでラウンド感たっぷりの音色のベースを使用し、楽曲の明るくポジティブなムードをさらに強調しています。
(流れるようなベースプレイとはこのこと!)

ポップでキャッチーすぎるで賞を受賞です。

"You And I" (アルバム「華麗なるレース」)

「アガる」ピアノポップのお手本のような一曲。

この曲でのディーコンのベースアプローチは「飛び跳ね回る」ようなエネルギッシュなダイナミズムを基本として、曲のロマンティックな雰囲気を同時に支えていてセンス抜群です。
ところどころ薄く敷かれているアコギもジョンによるものです。

"Spread Your Wings" (アルバム「News of the World」)

アレンジ的には、サブドミナントマイナーという「切なさ」を強調させるコードが上手く響いているのが印象的です。
どこかビートルズっぽい感じもしますね。
※ビートルズの“In My Life”にもこの手法が効果的に入っている

ディーコンのシンプルながらも効果的なベースラインは、曲の「自由が欲しけりゃ思い切って飛べ」というインスピレーショナルなメッセージと完璧に調和しています。

"Who Needs You" (アルバム「News of the World」)

陽気なアコースティックギターとラテン風のリズムが特徴のこの曲は、カリブ海の一面に広がるエメラルドグリーンを連想させます。

要所要所に入るパーカッションも、独特のリズムの「ゆらぎ」が気持ちいい。

"If You Can't Beat Them" (アルバム「ジャズ」)

ロックオリエンテッドなこの曲では、ディーコンのベースラインが力強いドライブとエネルギーを炸裂させてますね。
ライブでのプレイは、少々攻撃的になるんですよね。気持ちはわかるけど(笑)

ミックスダウンの段階で、フェイズ系のエフェクト処理が多用されていたのもこの頃の音作りの特徴です。

"In Only Seven Days" (アルバム「ジャズ」)

めちゃくちゃ綺麗でポップな響きなのですが、中身(パッシングディミニッシュや裏ディミニッシュを多用したコード進行やリズム)はものすごく複雑難解に組み上げられている曲です。
トッド・ラングレンの楽曲を思い浮かべてしまいます。(この曲が好きな人は、トッド・ラングレンも好きだと思うので聴いてください!)

ベースはメロディックなラインを用いて、曲の感傷的なムードを深めています。
「日々の生活」を連想させる、ナイスなガットギターもジョンによる演奏。

"Another One Bites the Dust" (アルバム「ザ・ゲーム」)

おそらくディーコンの最も有名なベースラインであり、クイーンで一番売れた曲でもあります。
全英だけでなく全米での1位も同時獲得し、文字通り世界制覇を達成した瞬間でもあります。
ファンクの影響を受けたこのトラックはクイーンのサウンドに新たな次元を加えました。

彼のタイトでグルーヴィーなプレイは、この曲を不朽のロッククラシックにしました。
更に、ベースだけでなくリズムギター(カッティング)もジョン・ディーコンによる演奏。
※アメリカのR&Bファンク・ソウルのバンド「シック」の“グッド・タイムス”のリズムセクションに影響を受けたという話も

"Need Your Loving Tonight" (アルバム「ザ・ゲーム」)

ストレートでパワーポップなロックンロールチューン。
ちょっとパンキッシュな要素があるので、アメリカンなロックンロールとはならず、ちゃんと英国ロックしてますね!

バンドメンバー自身も楽しんで演奏しているのがひしひしと伝わってきます。

"Back Chat" (アルバム「ホット・スペース」)

ファンクとディスコの要素が融合した、とてもダンサブルなこの楽曲ではディーコンのベースが前面に出ています。

メインリフがChicのLe Freakっぽくもあるけど、ちょっとオリエンタルなニュアンスも感じれる。
MVでは、ロジャー・テイラーがエレドラの音色なのに生ドラムを当て振りさせられていて不機嫌そうな顔だったような(笑)

"I Want to Break Free" (アルバム「ザ・ワークス」)

ジョンは機械大好き人間なので、きっと電子楽器も大好きなはず。

シンセサイザーが際立つスペーシーなこの曲でも、ディーコンのベースラインは曲のブレイクスルーの瞬間に力を加えています。

"Friends Will Be Friends" (共作、アルバム「炎のロックンロール」)

「友情」をとても大切にしていたクイーン。
作曲がジョン・ディーコンで作詞はフレディー・マーキュリーという、分業共作も友情を象徴しているかのようです。

アレンジ的には、サビの後半で下降クリシェ(コードの内声が半音ずつ下がる)という手法が用いられていて、とってもお洒落!
やはり、ベーシストの曲は編曲のメリハリがはっきりしているところも強みのひとつです。

"One Year of Love" (アルバム「炎のロックンロール」)

ジョンの繊細さがにじみ出ている正統派のロッカバラード。
この曲では、上モノ以外のトラックのほとんどがディーコンによる制作で、ドラムトラックはドンカマ(リズムマシン)が使用されています。(ギターレスのアレンジも潔い)

"Pain Is So Close to Pleasure" (共作、アルバム「炎のロックンロール」)

この曲では、ディーコンは滑らかでメロディックなウォーキングベースを通じて、ソウルとファンクの要素を巧みに取り入れています。
スムーズでセンシュアルな雰囲気が大人の男って感じで素敵ですね。

ベースプレイヤーとしての技術と革新

ジョン・ディーコンは、ベースプレイヤーとしても非凡な才能を発揮しました。

彼の演奏スタイルは、技術的な精度の高さだけでなく、ソウルやブラックミュージックに大きな影響を受けたと思われるメロディックなセンスの完璧なバランスを特徴としています。

音作りには時代のトレンドも取り入れ、使用した機材にも革新的なアプローチを取り入れ、特に自作のベースギターやエフェクトを活用して、クイーンの楽曲に独特のサウンドを提供しました。

ジョンのプレイは、ベースラインを単なる伴奏ではなく、楽曲の一部としての裏メロ(オブリガート)を形成していることが多く、口ずさみたくなるベースラインはクイーン楽曲の重要な魅力の一つとして、無くてはならないものです。

他のメンバーを引き立てつつも、しっかりと自己主張はするというのがジョン流!

課外活動とその他のプロジェクト

The Immortals

ジョン・ディーコンはクイーンの一員として輝かしいキャリアを築き上げた後、1985年に"The Immortals"というプロジェクトで"No Turning Back"というシングルをリリースしました。

これは、映画『ビグルス・時空を越えた戦士』のサウンドトラックの一部として制作されたものです。
ジョンの純粋なソロ作品はなかったものの、彼の音楽的才能とクリエイティブな側面を垣間見ることができる貴重な資料です。

私生活と影響

家族と趣味

ジョン・ディーコンはプライベートを大切にする人物として知られており、彼の家族生活はメディアの注目をほとんど集めることがありませんでした。彼は1975年に結婚し、6人の子どもに恵まれたことが知られています。

息子さんの一人「ルーク・ディーコン」さんは、映画ボヘミアンラプソディにもちょこっと出演されています。

家族と共に過ごす時間を何よりも価値あるものと考え、音楽界から引退した後は特に家族との時間を大切にしています。

趣味に関しては、ジョンは電子工学に興味を持ち続けており、若い頃には自宅でオーディオ機器を自作することもあったと言われています。
また、クイーンが活動していた頃は、バンドのレコーディングやツアー中にも技術的な問題に取り組むことがしばしばありました。

音楽以外への影響

ジョン・ディーコンの音楽以外での活動は、公にはあまり知られていませんが、彼はチャリティー活動にも熱心に取り組んできました。

クイーンとしての活動を通じて、彼は多くのチャリティーコンサートに参加し、特にエイズ撲滅や貧困層の支援に力を入れてきました。フレディー・マーキュリーがエイズで亡くなった後、ジョンはエイズ撲滅を目指す様々な活動を支援しています。

また、彼は子どもたちの教育や健康を支えるプロジェクトにも関心を寄せており、静かながらも社会に貢献し続けています。

家族への深い愛情と、音楽以外の分野への興味や社会貢献に対する姿勢は、彼の人柄を物語っています。
クイーンのベーシストとしての華やかなキャリアの陰で、彼は常に謙虚で地に足のついた生活を送ってきました。

クイーンとの関係、現在に至るまで

クイーン脱退の理由と、現在の活動

ジョン・ディーコンは1997年にクイーンとしての活動を公式に停止しました。

この決断は、フレディー・マーキュリーの死と深く関連しています。
フレディー亡き後のバンドの未来について、ジョンは他のメンバーよりも慎重な姿勢を示しました。

彼はフレディーがバンドの不可欠な一部であったと感じており、その空席を埋めることはできないと考えていたようです。
音楽業界からの引退後、ジョンは公の場にほとんど姿を現さなくなり、クイーンの新たなプロジェクトやツアーにも参加していません。

ブライアンメイはインタビューへの回答で「ジョンはフレディーを失った悲しみから立ち直るのに苦戦している」と話しており、フレディー・マーキュリー無きクイーンでバンドを続けるくらいなら、きっぱりと音楽活動から離れた方が良い。と決断しての脱退と思われます。

しかし、彼はクイーンのメンバーとしての地位や楽曲の権利に関しては保持し続けており、バンドの決定には引き続き影響を与えています。

音楽界への継続的な影響

ジョン・ディーコンの音楽への貢献は、彼自身がステージから遠ざかっている今もなお、多大な影響を音楽界に与え続けています。

特に、彼の革新的なベースラインは、"Another One Bites the Dust"や"I Want to Break Free"など、クイーンの多くのヒット曲において象徴的な役割を果たしており、ジョンの技術とセンスは、若手ミュージシャンに対して、楽器の演奏方法だけでなく音楽制作における創造性を追求する重要性を示しています。

その静かな存在感と音楽への深い洞察を通じて、今日の音楽シーンにおいても注目と称賛を集め、新世代のアーティストたちに大きなインスピレーションを与えているのです!

ジョン・ディーコンがクイーンとして過ごした年月は、彼の人生においても、音楽界においても、消えることのない痕跡を残しました。彼はバンドから離れた今でも、音楽を愛するすべての人々にとって、その才能と献身に敬意を表される存在です。

ジョン・ディーコンの紹介:まとめ

ジョン・ディーコンの音楽キャリアは、クイーンというバンドの中核として、そして音楽史における革新者としての地位を不動のものにしました。

彼の作り出したベースラインは、ロック音楽の領域を大きく広げ、数世代にわたるミュージシャンたちに影響を与え続けています。ジョンがクイーンとしての活動を終えてからも、彼の音楽は生き続け、新たなファンを獲得し続けています。

ジョンから学べることは、音楽だけにとどまりません。彼の生き方は、プロフェッショナルとしての成功を収めた後も、プライベートな幸せと家族を最優先することの大切さを教えてくれます。

音楽界から離れた後の彼の人生は、目立つことを避け、静かに過ごすことを選んだことで、成功後の人生のあり方について考える機会を与えてくれているとも感じます。
ほとんどのロックミュージシャンは、成功と同時に派手な生活から抜け出せなくなりますからね。

そういった意味でも、ジョン・ディーコンが後世の音楽界に与えた影響は計り知れません。
クイーンとしての彼の業績はもちろん、彼の音楽への情熱、革新的なアプローチ、そして謙虚な人柄は、今後も長く語り継がれるでしょう。

ジョン・ディーコンの物語は、

音楽とは何か?
アーティストとして成功するとはどういうことか?
そして人生を豊かに生きるとはどういうことか?

について私たちに多くのことを教えてくれます。
彼の遺した音楽的遺産は、これからも変わらずに音楽界の貴重な宝として、世代を超えて愛され続けるのです。

-ロック
-