ポップス

シンガーソングライターの女王キャロル・キング - 現在までの足取り

Carole King(キャロル・キング)のイメージ画像

伝説的なソングライター、シンガーソングライター、そして4つのグラミー賞に輝く音楽界の至宝。キャロル・キングは、1960年代の職業作曲家時代から現在まで、半世紀以上にわたって音楽界に偉大な足跡を残し続けています。

多くのアーティストが時代の波に飲まれていく中、キャロルは裏方としてのソングライター、そして表舞台に立つシンガーソングライターという二つの顔を持ち、どちらにおいても圧倒的な成功を収めてきました。ジェリー・ゴフィンとのコンビで生み出した数々のスタンダードナンバー、そして1971年の名盤『つづれおり』は、今なお世界中の音楽ファンの心に深く刻まれています。

そして、キャロル・キングは一貫して人間の感情の機微を捉えた「良質な歌」を追求。
ジェームス・テイラーやジョニ・ミッチェルらと共に、1970年代のシンガーソングライター・ブームを牽引し、現代のテイラー・スウィフトやアデルといった歌姫たちへと続く「自作自演」の道を切り拓きました。

この記事では、ニューヨーク・ブルックリン出身の天才ソングライターが、いかにして20世紀後半の音楽界を代表する存在となったかを、彼女の音楽的変遷とプライベートな側面も含めて詳しく解説していきます。

キャロル・キングの基本プロフィール

項目詳細
出生名・本名キャロル・ジョーン・クライン(Carol Joan Klein)
生年月日1942年2月9日
出身地アメリカ合衆国 ニューヨーク市ブルックリン
身長162cm
体重非公表
担当楽器ピアノ、ボーカル、ギター、シンセサイザー
星座みずがめ座
血液型非公表
学歴クイーンズ・カレッジ(中退)
主な受賞歴グラミー賞4回受賞、ロックンロール殿堂入り、ケネディ・センター名誉賞

音楽の神童としての誕生秘話

1942年2月9日、ニューヨーク市ブルックリンで生まれたキャロル・ジョーン・クライン。現在83歳の彼女は、4歳の頃から母親にピアノを教わり始め、その際に絶対音感の持ち主であることが判明しました。幼少期から音楽に対する飽くなき好奇心を示し、ラジオから流れる曲を自分で弾きたいという強い意欲を持って練習に励みました。

驚くべきことに、言葉と数字においても並外れた才能を持っていたキャロルは、幼稚園から直接2年生に飛び級したという逸話が残っています。天才少女としての素質は、音楽だけでなく学業面でも顕著だったのです。

高校時代には、後にソロアーティストとして成功するニール・セダカと交際を開始。彼の影響を受けて作曲活動を始め、本名のキャロル・クラインから「キャロル・キング」へと芸名を変更しました。

162cmの小柄な体と大きな音楽性

身長162cmという小柄な体格ながら、その音楽性は計り知れない大きさを持つキャロル。彼女の特徴は、飾らない自然体な雰囲気と、ピアノに向かって歌う姿の美しさです。

性格は内向的でありながら、音楽を通じて感情を豊かに表現する芸術家気質。ステージ恐怖症を抱えていた時期もありましたが、それを乗り越えて世界中のファンの前で演奏を続けてきました。

受賞歴と音楽的評価

キャロル・キングは4回のグラミー賞を受賞しており、1972年には『つづれおり』で最優秀アルバム賞、『イッツ・トゥー・レイト』で最優秀レコード賞、『君の友だち』で最優秀楽曲賞、そして最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞の4部門を受賞しました。この快挙は、音楽史に残る偉業として今も語り継がれています。

1990年にはロックンロールの殿堂入り、2013年にはポピュラーソングのためのガーシュウィン賞を受賞し、2015年にはケネディ・センター名誉賞を受賞するなど、数々の栄誉に輝いています。25枚のソロアルバムを発表し、世界中で7,500万枚以上のレコード販売を記録するという商業的成功も証明しています。

驚異的な資産と収入源

キャロル・キングの推定純資産は約7,000万ドルとされています。この莫大な財産は、音楽活動による印税収入だけでなく、ソングライターとして提供した楽曲からの継続的な収入によるものです。

特に注目すべきは、彼女が書いた400曲以上の楽曲が、少なくとも1,000人以上のアーティストによってカバーされているという事実です。これらの楽曲からの印税は、今も彼女の重要な収入源となっています。

デビュー前夜とブレイクスルー

ブリル・ビルディング時代の始まり

クイーンズ・カレッジに進学したキャロルは、後に夫となるジェリー・ゴフィンと出会い、17歳で結婚。長女ルイーズを出産後、二人は大学を辞めて昼間は仕事で家計を支えながら、夜は曲作りに励むという生活を送りました。この献身的な努力が、後の大成功への礎となったのです。

音楽出版社アルドン・ミュージックの設立者であるドン・カーシュナーと出会ったことで、ゴフィン&キングはプロの作曲家チームとしてのキャリアをスタートさせました。ドン・カーシュナーは「黄金の耳を持つ男」として知られ、若手ソングライターたちの才能を見出す天才でした。

職業作曲家としての黄金時代

1961年、黒人女性3人組のザ・シレルズが歌った「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー」がビルボード・ホット100で1位を獲得し、黒人ガールズグループによる初の全米ナンバーワンヒットとなったことで、ゴフィン&キングの名は一躍有名になりました。

その後も、リトル・エヴァの「ロコモーション」、ドリフターズの「アップ・オン・ザ・ルーフ」、アレサ・フランクリンの「ナチュラル・ウーマン」など、今もスタンダードナンバーとして歌い継がれる名曲を次々と生み出しました。

1960年代初頭の3年間で、ゴフィン&キングは20曲以上のトップ40ヒットを世に送り出し、ブリル・ビルディング・サウンドを代表する作曲家コンビとして音楽史に名を刻みました。

シンガーとしての挑戦と挫折

1958年、16歳でABCパラマウントから「The Right Girl」でソロシンガーとしてデビューしましたが、その後リリースした4枚のシングルはいずれもヒットせず、歌手としてのキャリアは一旦頓挫することになりました。

この時期の挫折は、キャロルにとって大きな教訓となりました。自分の声に自信が持てず、ステージ恐怖症にも悩まされていた彼女は、まず裏方として音楽界での地位を確立することに専念したのです。

音楽的成熟とジャンルの探求

「ザ・シティ」時代の転換期

1968年にゴフィンとの離婚が成立し、ロサンゼルスのローレル・キャニオンに移住したキャロルは、ベーシストのチャールズ・ラーキー、ギタリストのダニー・コーチマーと音楽トリオ「ザ・シティ」を結成しました。チャールズ・ラーキーは後に彼女の2番目の夫となる人物です。

1968年に唯一のアルバム『夢語り』を製作しましたが、キャロルのステージ恐怖症が影響して十分なプロモーション活動ができず、売り上げは伸びませんでした。しかし、このアルバムは1980年代に再発見され、現在では隠れた名盤として高く評価されています。

『ライター』での再出発

1970年に発表した1stソロアルバム『ライター』では、盟友ジェイムス・テイラーのサポートを得ながら、本格的なソロアーティストとしての道を歩み始めました。このアルバムも当初は売れ行きが芳しくありませんでしたが、次作『つづれおり』の成功により再評価されることになります。

『ライター』は、職業作曲家からシンガーソングライターへの移行期を象徴する作品であり、キャロルの素朴で温かみのあるボーカルと、プロとして培った卓越した作曲センスが融合した名作です。

歴史的名盤『つづれおり』の誕生

1971年2月10日に発表された2枚目のソロアルバム『つづれおり』は、全米アルバムチャートで15週連続1位を記録し、302週間もチャートにランクされ続け、2,200万枚以上を売り上げるという驚異的な成功を収めました。

プロデューサーのルー・アドラーの的確なアドバイスにより、アレサ・フランクリンに提供した「ナチュラル・ウーマン」をセルフカバーすることを決意。この決断が、アルバムの完成度をさらに高めることになりました。

「イッツ・トゥー・レイト」「空が落ちてくる」「去りゆく恋人」「君の友だち」といった楽曲は、内省的でありながら普遍的な感情を歌い上げ、ベトナム戦争の泥沼化とヒッピー・ムーブメントの幻想崩壊を経験したアメリカのリスナーの心に深く響きました。

結婚遍歴と音楽への影響

4度の結婚と人生の転機

キャロル・キングは生涯で4度の結婚を経験しています。それぞれの結婚が彼女の音楽に大きな影響を与え、人生の喜びと苦悩が楽曲に反映されています。

1人目の夫:ジェリー・ゴフィン(1959-1968年)

17歳で結婚したジェリー・ゴフィンとは、作詞作曲のパートナーとして1960年代の音楽シーンを席巻しました。二人の間には長女ルイーズと次女シェリーが生まれ、公私ともに密接なパートナーシップを築きました。離婚後も音楽的な協力関係は続き、『ライター』では12曲中10曲がゴフィンとの共作でした。

2人目の夫:チャールズ・ラーキー(1970-1976年)

ベーシストのチャールズ・ラーキーとの結婚期間中、キャロルは作曲家からシンガーソングライターへと本格的に移行しました。この時期に『つづれおり』が生まれ、二人の間にはモリーとレヴィという2人の子どもが誕生しました。モリーは後に彫刻家として活動しています。

3人目の夫:リック・エヴァーズ(1977-1978年)

1977年に結婚したリック・エヴァーズは、キャロルの作詞パートナーとして共作アルバムを2枚残しましたが、翌年、麻薬禍により死別するという悲劇に見舞われました。この経験は、キャロルの心に深い傷を残しました。

4人目の夫:リック・ソレンソン(1982-1989年)

1982年に結婚したリック・ソレンソンとは1989年に離婚。これが最後の結婚となり、以降キャロルは独身を貫いています。

人生経験が生み出した名曲たち

キャロルの結婚と離婚の経験は、彼女の楽曲に深みと真実味を与えています。「イッツ・トゥー・レイト」は関係の終焉を、「ソー・ファー・アウェイ」は離れていく恋人への思いを、そして「ビューティフル」は自己肯定と自己受容を歌った楽曲として知られています。

これらの楽曲では、キャロルの内省的な歌詞とシンプルながら心に響くメロディが見事に融合しており、多くのリスナーが自身の経験と重ね合わせることができる普遍性を持っていますよね!

ジェイムス・テイラーとの深い絆

キャロルの音楽人生において、ジェイムス・テイラーは特別な存在です。ジェイムス・テイラーは、キャロルの名曲『君の友だち』をカバーして全米ナンバーワンヒットを記録し、お互いのアルバムに客演で参加するなど、音楽面でのつながりは非常に強いものでした。

2007年と2010年には二人で全米ツアーを行い、70万枚以上のチケットを売り上げ、5,900万ドル以上の収益を上げるという大成功を収めました。長年にわたる友情と音楽的な相互理解が、多くのファンを魅了し続けています。

現在の活動と新たな挑戦

created by Rinker
コロムビアミュージックエンタテインメント

1970年代の継続的な成功

『つづれおり』の成功後、キャロルは1970年代を通じて『ミュージック』(1971)、『喜びは悲しみの後に』(1972)、『ファンタジー』(1973)、『喜びにつつまれて』(1974)、『サラブレッド』(1976)といったヒット・アルバムを次々にリリースしました。

1973年にはニューヨークのセントラル・パークで10万人の観衆を集めたフリー・コンサートを決行し、伝説的なライブパフォーマンスとして音楽史に刻まれました。この模様は2023年にドキュメンタリー映画『キャロル・キング ホーム・アゲイン〜ライブ・イン・セントラル・パーク』として公開され、当時の充実した様子が鮮やかに描かれています。

1980年代以降の活動

1989年にキャピトル・レコードに復帰し、エリック・クラプトンが2曲参加した『シティ・ストリーツ』をレコーディングするなど、精力的な活動を続けました。

1990年には初の来日公演を実現。日本のファンとの交流も深め、特にキャロルを敬愛する日本の五輪真弓のデビューアルバム『少女』(1972)制作にあたって、自分のバンドを提供し、ピアノで参加してバックアップするなど、日本とのつながりも強くなりました。

2010年代の再評価と現在

2010年、キャロルとジェイムス・テイラーは、1970年にウェスト・ハリウッドのトルバドールで初めて共演したことを記念してトルバドール・リユニオン・ツアーを行ったことで、新たな世代のファンを獲得しました。

2016年には『つづれおり』の45周年記念で、ロンドンのハイド・パークでアルバム全曲再現ライブを実施し、6万5千人以上の観客を動員。この歴史的パフォーマンスは、1989年以来初めての英国公演であり、『つづれおり』を全曲ステージで披露する初めての経験となりました。

2014年には、キャロル・キングの半生を描いたミュージカル『ビューティフル』がトニー賞を受賞し、彼女の人生と音楽が改めて世界中で注目を集めました。

現代音楽界での位置づけと影響力

次世代アーティストへの影響

キャロル・キングは、現代の女性シンガーソングライターたちに計り知れない影響を与えています。テイラー・スウィフト、サラ・バレリス、アリシア・キーズなど、多くの若手アーティストがキャロルの影響を公言しています。

2024年8月、伝説的なシンガーソングライターであるキャロル・キングは、スウィフティーズ・フォー・カマラのキックオフ・コールに参加するなど、83歳となった現在も音楽界での存在感を示し続けています。

特に、女性が自分の言葉で自分の経験を歌うという、現代では当たり前となったスタイルを確立した功績は大きく、シンガーソングライター・ムーブメントの先駆者として重要な役割を果たしました。

ソングライターとしての遺産

400曲以上の楽曲が1,000人以上のアーティストによってカバーされているという事実は、キャロルのソングライターとしての偉大さを物語っています。彼女が書いた楽曲は、時代を超えて歌い継がれるスタンダードナンバーとして、音楽界の貴重な財産となっています。

ロックンロールの殿堂、ソングライターの殿堂への殿堂入りは、彼女の音楽的貢献が正当に評価されている証です。特に、女性として初めてポピュラーソングのためのガーシュウィン賞を受賞したことは、音楽史における重要なマイルストーンとなりました。

社会活動と政治的発言

キャロル・キングは環境保護に対して積極的な行動をとっており、北ロッキー山脈の生態系を保護する法律の成立に向けて、3回にわたって法廷で証言しています。音楽家としてだけでなく、社会的責任を果たす市民としての姿勢も尊敬を集めています。

民主党の熱心な支持者として知られ、2004年のジョン・ケリー、2008年のヒラリー・クリントン、2014年のジョー・バイデンなど、様々な政治家の選挙活動を支援してきました。音楽を通じて社会に対する意見を表明し続ける姿勢は、多くの若手アーティストの模範となっています。

まとめ:音楽界の女王としての軌跡

ニューヨーク・ブルックリンの一人の少女から、世界的なソングライター、シンガーソングライターへと成長したキャロル・キング。彼女の音楽キャリアは、純粋な音楽への愛情と、時代の変化に適応する柔軟性によって築かれてきました。未来への展望

2025年現在も、キャロルは自分のペースで音楽活動と社会活動を続けています。新しい世代のファンを獲得しながら、長年のファンとの絆も大切にする姿勢は、真のアーティストとしての在り方を示しています。

キャロル・キングの物語は、才能と努力、そして音楽への純粋な愛情がもたらす奇跡の記録です。彼女の音楽は、これからも多くの人々の心に響き続け、新しい世代のミュージシャンたちにインスピレーションを与え続けることでしょう。

〈PR〉最高音質をまずは30日間無料で体験♪

-ポップス
-