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ポップスの覇者「フィル・コリンズ」不屈の天才マルチプレイヤーの現在

フィル・コリンズのイメージ画像

卓越したドラマー、稀代のメロディメーカー、そして世界で最も成功したシンガーの一人。そして、見かけは普通の近所のおじさん

フィル・コリンズは、1970年代のプログレッシブ・ロックの深淵から、1980年代のポップ・ミュージックの頂点へと登り詰め、音楽史に類を見ない足跡を残してきました。

多くのアーティストが時代の波に飲み込まれていく中、フィルは「ジェネシス」のフロントマンとソロ活動の両輪で、それぞれ1億枚以上のアルバム売上を記録するという、マイケル・ジャクソンポール・マッカートニーに並ぶ偉業を達成。その音楽性は、革新的なドラムサウンド「ゲート・リバーブ」を生み出し、現代の音楽制作にも多大な影響を与え続けています。

この記事では、ロンドン出身の「普通の外見をした天才」がいかにして世界を支配し、そして現在、満身創痍の体でどのように音楽と向き合っているのか。その栄光と苦悩の軌跡を詳しく解説していきます。

フィル・コリンズの基本プロフィール

項目詳細
出生名・本名フィリップ・デイヴィッド・チャールズ・コリンズ(Philip David Charles Collins)
生年月日1951年1月30日
出身地イギリス・ロンドン・チズウィック
身長168cm
体重約70kg
担当楽器ドラム、ボーカル、キーボード、パーカッション
星座みずがめ座
血液型非公表
学歴バーバラ・スピーク・ステージスクール
主な受賞歴グラミー賞8回、アカデミー賞1回、ゴールデングローブ賞2回

音楽への情熱が芽生えた幼少期

1951年1月30日、イングランド・ロンドン郊外のチズウィックで生まれたフィリップ・デイヴィッド・チャールズ・コリンズ。現在74歳の彼は、わずか5歳の時にクリスマスプレゼントとしてもらった小さなドラムセットで演奏を始めたのが音楽の出発点でした。幼い頃から音楽とエンターテインメントに強い関心を持ち、母親の励ましもあって子役としてキャリアをスタートさせました。

10代の頃には既にプロのドラマーとして活動を開始。特にモータウンやソウルミュージックに影響を受け、バディ・リッチやジーン・クルーパといった伝説的なドラマーの演奏を研究しました。この時期に培った技術とリズム感が、後の独特なドラミングスタイルの基礎となったのです。

コンパクトな体格と圧倒的な存在感

身長168cm、体重約70kgと決して大柄ではないコリンズですが、ステージ上では誰よりも強烈な存在感を放ちます。彼のトレードマーク!?である禿頭(キュート!)と温かみのある笑顔は、世界中のファンに愛されています。

また、彼の性格は非常に親しみやすく、ユーモアに溢れています。真摯な音楽家としての一面と、気さくで人間味あふれる人柄のバランスが、多くの人々を惹きつけてきました。インタビューでは常に率直で誠実な態度を示し、音楽業界において尊敬される存在となっています。

受賞歴と音楽的評価の数々

グラミー賞8回受賞という輝かしい記録を持つコリンズ。1985年の「Against All Odds (Take a Look at Me Now)」でのノミネートを皮切りに、アルバム・オブ・ザ・イヤー賞(1986年、「No Jacket Required」)、レコード・オブ・ザ・イヤー賞(1991年、「Another Day in Paradise」)など、数々の栄誉に輝いています。

さらに、1999年にはアニメ映画「ターザン」の楽曲「You'll Be in My Heart」でアカデミー賞最優秀歌曲賞を受賞。音楽家として最高峰の評価を受けました。また、2000年にはロックの殿堂入りを果たし、音楽史における重要な位置を確立しています。

驚異的な資産と世界的成功

2024年現在、フィル・コリンズの推定純資産は約3億5000万ドルとされています。これはジェネシスとソロキャリアの両方での成功、映画音楽の印税、そして不動産投資など、多様な収入源によるものです。

世界中でのアルバム総売上枚数は、ソロで1億5000万枚以上、ジェネシスとしての売上を含めると2億5000万枚を超えると推定されており、音楽史上最も成功したアーティストの一人として名を連ねています。

デビュー前夜からジェネシス加入まで

子役時代と音楽への目覚め

コリンズの芸能界でのキャリアは意外にも子役から始まりました。1964年、わずか13歳の時にビートルズ主演映画「ハード・デイズ・ナイト」にエキストラとして出演。この経験が、エンターテインメント業界への情熱を強めました。

同時期に、バーバラ・スピーク・ステージスクールで演技とダンスを学びながら、ドラムの練習に励みました。昼間は演技の勉強、夜はドラムの練習という生活を続け、両方の才能を磨いていったのです。この多才さが、後のステージパフォーマンスにおける表現力の豊かさにつながっています。

若手バンドでの修行時代

10代後半になると、コリンズは本格的に音楽活動に専念し始めます。フレイミング・ユースというバンドでドラマーとして活動し、1969年にはアルバム「Ark 2」をリリース。このアルバムは商業的な成功には至りませんでしたが、コリンズの才能を音楽業界に知らしめる重要な作品となりました。

また、この時期には様々なセッション・ミュージシャンとしても活動し、幅広い音楽ジャンルに触れる機会を得ました。ジャズ、ロック、ファンク、ソウルなど、多様な音楽スタイルを吸収したことが、後の独創的な音楽性の源泉となっています。

ジェネシス加入という転機

1970年、新聞の音楽誌「メロディ・メーカー」に掲載されたジェネシスのドラマー募集広告を見たコリンズは、オーディションに応募しました。当時のジェネシスは、プログレッシブロック界で注目を集め始めていたバンドで、競争率は非常に高いものでした。

しかし、コリンズの卓越したドラミング技術と音楽性は審査員を圧倒し、見事に採用されました。この決断が、彼の人生を大きく変えることになります。当初はドラマーとしてバンドに加入しましたが、後にリードボーカリストとしても活躍することになるとは、誰も予想していなかったでしょう。

ジェネシス時代の音楽的成長

プログレッシブロックの黄金時代

ジェネシス加入後、コリンズはバンドの中核メンバーとして重要な役割を果たしました。1971年の「Nursery Cryme」から1974年の「The Lamb Lies Down on Broadway」まで、プログレッシブロックの傑作を次々と生み出しました。

この時期のコリンズのドラミングは、複雑な変拍子や長尺の楽曲構成に完璧に対応し、技術的な高さを証明しました。特に「The Cinema Show」や「Firth of Fifth」などの楽曲では、ドラムが楽曲の物語性を支える重要な要素となっており、彼の音楽的理解力の深さが表れています。

フロントマンへの予期せぬ転身

1975年、ピーター・ガブリエルがバンドを脱退し、ジェネシスは新しいリードボーカリストを探すことになりました。400人以上のオーディションを行いましたが、適任者が見つからず、最終的にコリンズがドラムとボーカルを兼任することになったのです。

この決断は当初、多くのファンや評論家から懐疑的に見られました。しかし、1976年の「A Trick of the Tail」のリリースとともに、コリンズの才能が証明されました。ドラムを叩きながら歌うという困難な技術を完璧にこなし、さらには以前よりも商業的な成功を収めたのです。

バンドサウンドの進化と商業的成功

コリンズがフロントマンとなってから、ジェネシスの音楽性は徐々に変化していきました。プログレッシブロックの複雑さを残しながらも、よりポップでアクセシブルなサウンドへと進化。1980年代には「Invisible Touch」「Land of Confusion」「Tonight, Tonight, Tonight」などのヒット曲を連発し、世界的な成功を収めました。

特に1986年のアルバム「Invisible Touch」は、全米チャート1位を獲得し、バンドの商業的ピークを迎えました。この成功により、ジェネシスはプログレッシブロックバンドからメインストリームのロックバンドへと変貌を遂げたのです。

ソロキャリアの爆発的成功

デビューアルバム「Face Value」の衝撃

1981年、ジェネシスでの活動と並行してリリースされたソロデビューアルバム「Face Value」は、音楽界に大きな衝撃を与えました。このアルバムには、離婚という個人的な体験から生まれた感情的な楽曲が収録され、特に「In the Air Tonight」は伝説的な名曲となりました。

「In the Air Tonight」の革新的なドラムサウンド、特にゲート・リバーブを使用したドラムブレイクは、80年代のポップミュージックのサウンドを決定づけました。この技術は、プロデューサーのヒュー・パジャムとエンジニアのスティーヴ・リリーホワイトとの協力によって生まれ、音楽制作の歴史に新たな1ページを刻みました。

80年代を代表するポップスターへ

1980年代、コリンズはソロアーティストとして絶頂期を迎えます。1984年の「Against All Odds (Take a Look at Me Now)」、1985年の「One More Night」「Sussudio」、1989年の「Another Day in Paradise」など、数々のナンバーワンヒットを生み出しました。

特に「Another Day in Paradise」は、ホームレス問題を扱った社会的メッセージ性の強い楽曲として高く評価され、グラミー賞レコード・オブ・ザ・イヤー賞を受賞しました。コリンズは、商業的成功と芸術的評価の両方を手にした数少ないアーティストとなったのです。

映画音楽への進出と新たな成功

1980年代後半から1990年代にかけて、コリンズは映画音楽の分野でも活躍しました。1988年の「Buster」では主演も務め、サウンドトラックも担当。特に「Two Hearts」「A Groovy Kind of Love」は大ヒットとなり、映画俳優としての才能も証明しました。

そして1999年、ディズニーアニメ「ターザン」の音楽を担当し、アカデミー賞最優秀歌曲賞を受賞。「You'll Be in My Heart」は世界中で愛される楽曲となり、コリンズの音楽的な幅広さを改めて示しました。この成功により、彼は音楽界のあらゆる分野で最高の評価を受ける稀有な存在となったのです。

私生活と音楽への影響

三度の結婚と離婚の経験

コリンズの私生活は、彼の音楽に深い影響を与えてきました。1975年にアンドレア・バートレットと結婚し、一男一女をもうけましたが、1980年に離婚。この経験が「Face Value」アルバムの感情的な楽曲群を生み出しました。

1984年にはジル・タベルマンと再婚し、一女をもうけましたが、1996年に離婚。この離婚は特に話題となり、コリンズがファックスで離婚を通知したという報道(後に否定)が世界中のメディアを賑わせました。1999年にはオリアンヌ・セヴィックと三度目の結婚をし、二男をもうけましたが、2008年に離婚しています。

家族との複雑な関係と和解

多くの離婚経験を持つコリンズですが、子供たちとの関係は良好です。特に長女のリリー・コリンズは、ハリウッド女優として成功を収めており、父親との関係について公に語ることもあります。当初は父親の多忙さに複雑な感情を抱いていたと明かしていますが、現在は良好な関係を築いています。

また、息子のニコラス・コリンズはドラマーとして活動しており、2017年からはジェネシスの再結成ツアーでドラムを担当。父親から受け継いだ才能を発揮し、音楽的な遺産を継承しています。この親子共演は、多くのファンに感動を与えました。

個人的経験が生み出した名曲たち

コリンズの楽曲の多くは、彼の個人的な経験から生まれています。「In the Air Tonight」は離婚の痛みと怒り、「Against All Odds」は失われた愛への切ない想い、「Another Day in Paradise」は社会的弱者への共感を歌った楽曲として知られています。

これらの楽曲では、コリンズの感情的な歌声と繊細な音楽プロダクションが見事に融合しており、多くのリスナーが自身の経験と重ね合わせることができる普遍性を持っています。彼の音楽が世代を超えて愛され続ける理由は、この誠実さと感情の深さにあるのです。

健康問題と現在の活動

身体的な困難との闘い

2000年代以降、コリンズは深刻な健康問題に直面してきました。2007年には背骨の損傷により、ドラムを演奏することが困難になり、一時的に音楽活動から引退を表明しました。この発表は世界中のファンに衝撃を与えました。

さらに2015年には急性膵炎により緊急入院。この病気は命に関わる危険性があり、長期的な治療が必要となりました。また、年齢とともに聴力の低下も進み、音楽家として致命的な問題に直面することになったのです。2017年には転倒事故により神経を損傷し、手の機能が大幅に低下してしまいました。

音楽への情熱による復活

しかし、コリンズの音楽への情熱は決して消えることはありませんでした。2016年には「Not Dead Yet」ツアーを発表し、音楽活動への復帰を宣言。身体的な制限がある中でも、座ったまま歌うというスタイルで世界中を回り、多くのファンを感動させました。

この復活劇は、音楽界において大きな感動を呼びました。ドラムを演奏できなくても、彼の歌声と音楽性は健在であり、むしろ年齢を重ねたことでより深みのある表現を見せるようになったのです。ファンたちは、コリンズの不屈の精神と音楽への愛情に心を打たれました。

ジェネシス最後のツアーと引退

2021年から2022年にかけて、ジェネシスは「The Last Domino? Tour」を開催しました。これは息子のニコラスがドラムを担当し、フィル自身はボーカルに専念するという形式で行われました。車椅子でステージに登場するコリンズの姿は、多くのファンの涙を誘いました。

2022年3月26日、ロンドンのO2アリーナでの公演をもって、ジェネシスは正式に活動を終了。50年以上にわたる伝説的なバンドの歴史に幕を閉じました。この最後のステージで、コリンズは感情を抑えきれず涙を流し、「ありがとう、そしてさようなら」と観客に語りかけました。この瞬間は、音楽史における重要な出来事として記憶されています。

現在のフィル・コリンズ - 音楽界の生ける伝説として

静かな生活と家族との時間

現在74歳のコリンズは、スイスのジュネーヴ湖畔で静かな生活を送っています。音楽活動からは引退したものの、家族との時間を大切にし、特に孫たちとの触れ合いを楽しんでいると報じられています。長年の激しい音楽活動から離れ、穏やかな日々を過ごしているのです。

また、自身の音楽的遺産の管理にも力を入れており、過去の楽曲のリマスタリングやアーカイブ映像の公開など、ファンへのサービスを続けています。直接的な音楽活動は行っていませんが、彼の音楽は今もなお世界中で聴かれ続けています。

音楽界への永続的な影響

コリンズが音楽界に与えた影響は計り知れません。彼が開拓したゲート・リバーブのドラムサウンドは、今でも多くのプロデューサーやエンジニアによって研究され、使用されています。また、ドラマーでありながらフロントマンとして成功した稀有な例として、多くのミュージシャンにインスピレーションを与えています。

若手アーティストたちも、コリンズの影響を公言しています。エド・シーラン、ブルーノ・マーズ、アデルなど、現代のポップスターたちが彼の楽曲をカバーしたり、インタビューで尊敬の念を表明したりしています。コリンズの音楽は、世代を超えて受け継がれているのです。

レガシーの継承と新世代への橋渡し

息子のニコラスがドラマーとして活躍していることは、コリンズの音楽的遺産が次世代に確実に受け継がれていることを示しています。ニコラスは父親のスタイルを尊重しながらも、自身の個性を加えた演奏で高い評価を受けており、コリンズ家の音楽的才能が継承されていることを証明しています。

また、コリンズ自身が収集してきた貴重な楽器や音楽機材の一部は、博物館に寄贈されており、音楽史の重要な資料として保存されています。これらの活動を通じて、彼の音楽的功績は永遠に記憶され続けることでしょう。

まとめ:ロックとポップスの架け橋となった音楽家の軌跡

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ワーナーミュージック・ジャパン

ロンドン郊外の一人の少年から、世界的なドラマー、シンガーソングライターへと成長したフィル・コリンズ。彼の音楽キャリアは、純粋な音楽への愛情と、絶え間ない創造性によって築かれてきました。

音楽家としての革新性 8つのグラミー賞、アカデミー賞、そしてロックの殿堂入りに象徴される音楽性の高さ。プログレッシブロックからポップス、映画音楽まで幅広いジャンルで成功を収め、特にドラムサウンドの革新は80年代の音楽シーンを決定づけました。73歳となった現在、彼は生ける伝説として音楽史に名を刻んでいます。

人間としての誠実さ 数々の離婚経験や健康問題など、私生活では多くの困難に直面してきたコリンズ。しかし、それらの経験を誠実に音楽に昇華させ、多くの人々の共感を呼ぶ楽曲を生み出してきました。彼の人間性の深さが、音楽に魂を吹き込んでいるのです。

音楽界への永続的貢献 技術革新、若手アーティストへの影響、音楽業界全体の発展への寄与など、コリンズの功績は多岐にわたります。彼の存在により、ドラマーという立場からスーパースターになれることが証明され、多くの若者に夢を与えました。

未来への影響 現在は引退したものの、コリンズの音楽は今もなお世界中で愛され続けています。新しい世代のリスナーたちが彼の楽曲を発見し、その魅力に触れています。息子のニコラスを通じて音楽的遺産が継承されていることも、彼のレガシーが永続することを保証しています。

見かけは普通の近所のおじさん。な、天才フィル・コリンズの物語は、才能と努力、そして音楽への献身がもたらす奇跡の記録です。彼の音楽は、これからも多くの人々の心に響き続け、新しい世代のミュージシャンたちにインスピレーションを与え続けることでしょう。

終わりに ドラムの魔術師にして、ポップミュージックの革命家、フィル・コリンズ。彼が音楽界に残した足跡は、永遠に色褪せることはありません。今日も世界のどこかで、「In the Air Tonight」のあの伝説的なドラムブレイクが鳴り響き、新たなファンの心を掴んでいることでしょう。彼の音楽的遺産は、これからも時代を超えて受け継がれていくのです。

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