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ロック

バンド「シカゴ」完全ガイド:ホーンロックの革命と現在までの軌跡

1967年、シカゴの街角から生まれた音楽的革命がありました。その名は「シカゴ(Chicago)」。

「25 or 6 to 4」の複雑で魅力的なリズム、「Saturday in the Park」の陽気で洗練されたサウンド、そして何より、ロックバンドに管楽器セクションを本格的に導入するという前代未聞のアイデアが、バンド界の常識を根底から覆しました。

テリー・カスの革新的なギターワークとピーター・セテラのダイアモンドのような輝きのボーカル、そしてホーンセクションの壮大な響きが融合した時、1970年代という時代そのものが彼らの音楽に合わせて踊り始めました。しかし、輝かしい成功の裏には、創作への飽くなき探求心、メンバー間の複雑な人間関係、そして時代の変化に適応していく音楽的進化の壮大なドラマが隠されていたのです。

彼らは37枚のアルバムを録音し、1億枚以上のレコードを売り上げ、史上最も長く続き、最も売れている音楽グループの一つです。本記事では、58年間にわたって音楽界を牽引し続けた伝説のバンドの全貌を、メンバーの変遷から革新的な楽曲制作の秘密まで、徹底的に解き明かしていきます。

シカゴの現在

バンドの現状:伝統の継承と新たな展開

現在もバンドに在籍している3人のオリジナルメンバーがいます。キーボード奏者のロバート・ラム、トロンボーン奏者のジェームス・パンコウ、そしてトランペット奏者のリー・ロックネインです。この3人が、シカゴの音楽的アイデンティティを守り続けています。

2025年現在、シカゴは依然として活発にツアー活動を行い、新しい音楽を創作し続けています。彼らの現在のラインナップは、オリジナルメンバーと経験豊富な新メンバーが絶妙に融合した形となっており、クラシックなシカゴサウンドを保ちながらも現代的な要素を取り入れています。

最新ラインナップ(2025年現在):伝統と革新の融合

ロバート・ラム / Robert Lamm(キーボード・ボーカル) 1967年の結成時からバンドの核心を担い続ける音楽的支柱です。「25 or 6 to 4」「Saturday in the Park」「Beginnings」などの代表曲の作詞・作曲者として、シカゴの創作面における最重要人物です。彼のキーボードワークは、ジャズの洗練さとロックのエネルギーを見事に融合させており、シカゴサウンドの基盤となっています。

興味深いことに、ラムは音楽理論に精通した学究的なアプローチと直感的な創作感覚を併せ持っています。彼の楽曲は、複雑なハーモニーと親しみやすいメロディーを両立させており、これこそがシカゴの商業的成功と芸術的評価を同時に獲得した秘密でした。

ジェームス・パンコウ / James Pankow(トロンボーン) バンドの音楽的方向性を決定づけたホーンセクションアレンジメントの天才です。彼のオーケストレーションセンスは、ロックバンドにクラシック音楽やジャズの要素を自然に融合させることを可能にしました。特に初期の楽曲群でのホーンアレンジは、後のポップス界における管楽器使用の模範となりました。

パンコウは演奏者としてだけでなく、プロデューサーとしても重要な役割を果たしています。彼の音楽的ビジョンは、シカゴが単なるロックバンドを超越した総合芸術集団として機能することを可能にしました。

リー・ロックネイン / Lee Loughnane(トランペット・フリューゲルホーン) シカゴのホーンセクションの華やかな高音部を担当し、バンドサウンドに輝きを与え続けています。彼のトランペットプレイは、ジャズの技術的洗練とロックの情熱的表現を見事に統合しており、多くのトランペット奏者たちの憧れとなっています。

近年、フリューゲルホーンも多用しており、より温かみのあるサウンドでバンドの音楽的表現の幅を広げています。彼の楽器選択センスは、楽曲の持つ感情を最大限に引き出すことに重点を置いています。

Chicago:歴代メンバー

創設メンバーたちの音楽的DNA

シカゴは1967年2月15日に「The Big Thing」という名前で結成され、オリジナルラインナップはギタリスト兼ボーカリストのテリー・カス、キーボード兼ボーカリストのロバート・ラム、ドラマーのダニー・セラフィン、サックス奏者のウォルター・パラザイダー、トランペット奏者のリー・ロックネイン、トロンボーン奏者のジェームス・パンコウで構成されていました。

失われた天才:テリー・カス(1946-1978)

バンドの初期サウンドを決定づけた伝説のギタリスト、テリー・カスの存在なくしてシカゴの音楽的革命は語れません。カスはグループの低音域のリードボーカルを担当し、そのスタイルは独特なものでした。彼のギタープレイは、ジミ・ヘンドリックスの影響を受けながらも、ホーンセクションとの完璧な調和を実現した独自のアプローチでした。

カスの最大の特徴は、ギターという楽器を管楽器の延長として捉えていたことです。彼は自身のギターソロを、トランペットやサックスのフレーズと対話させるように演奏し、これまでのロックギターの概念を根本的に変革しました。「25 or 6 to 4」での伝説的なギターソロは、この哲学の完璧な表現でした。

1978年1月23日、カスは自宅での銃の暴発事故により32歳という若さでこの世を去りました。彼の死は、シカゴの音楽的方向性に大きな転換点をもたらすこととなりました。

黄金時代の声:ピーター・セテラ(在籍1967-1985)

ピーター・ポール・セテラ・ジュニアは、1967年から1985年の脱退まで、アメリカのロックバンド「シカゴ」のフロントマン、ボーカリスト、ベーシストとして最もよく知られる引退したアメリカのミュージシャンです。

ピーター・セテラの高音域の究極に美しいボーカルは、シカゴの商業的成功における最重要要素でした。「If You Leave Me Now」「Glory of Love」「Hard to Say I'm Sorry」などの楽曲で聴くことができる、感情豊かで技術的に完璧な歌唱は、世界中の音楽ファンの心を捉えました。

興味深いことに、ピーター・セテラは当初ベーシストとして加入しましたが、徐々にボーカリストとしての才能が開花していきました。彼の歌声の特徴は、クリスタルクリアな高音域と、深い感情表現力の組み合わせでした。特にバラード楽曲において、彼の歌唱は楽曲の持つドラマティックな要素を最大限に引き出していました。

ピーター・セテラは1985年にバンドと決別しました。ツアーから離れてソロ素材を録音する時間を約束されていたにもかかわらず、別のツアーが予約されていることを発見し、シカゴのマネジメントから最后通牒を突きつけられました:ツアーに参加するか、交代させられるか...。

音楽的支柱たち:リズムセクションとホーンセクション

ダニー・セラフィン(ドラムス、1967-1990) 23年間にわたってバンドのリズムセクションを支えた彼は、ロックドラミングとジャズドラミングの完璧な融合を体現していました。彼のドラムスタイルは、複雑なポリリズムを駆使しながらも、常に楽曲全体のグルーヴを重視したアプローチでした。

ウォルター・パラザイダー(サックス、1967-2017) シカゴにホーンセクションを導入するというアイデアの発案者でした。彼のサックスプレイは、ジャズの伝統を受け継ぎながらも、ロック音楽の枠組みの中で新たな表現可能性を追求したものでした。50年間という長期にわたる在籍は、バンドの音楽的アイデンティティ維持において不可欠でした。

歴代ボーカル:三つの異なる音楽的時代

シカゴの58年間の歴史は、主要ボーカリストの変遷によって明確に区分することができます。それぞれの時代が独特の音楽的色彩と方向性を持っていました。

第一期:テリー・カス時代(1967-1978):実験的ロックの黄金期

カスは主に低音域のボーカルを担当していましたが、彼の歌声はバンドの実験的な要素を体現していました。「Beginnings」「Questions 67 and 68」といった楽曲で聴ける彼のボーカルは、サイケデリックロックとジャズの要素を融合させた独特なものでした。

この時期のシカゴは、政治的メッセージを含んだ実験的な楽曲を多数発表しており、カスの骨太で表現力豊かな歌声は、バンドの反体制的な側面を象徴していました。彼の声は、楽器としてのギターと同様に、ホーンセクションとの対話を重視したアプローチでした。

第二期:ピーター・セテラ時代(1967-1985):商業的成功の頂点

ピーター・セテラ時代は、シカゴの商業的成功と音楽的洗練が頂点に達した時期でした。彼の参加により、バンドはより幅広い音楽的表現が可能になりました。「Color My World」「If You Leave Me Now」「Hard to Say I'm Sorry」といった楽曲は、彼の美しい高音域によって不朽の名作へと昇華!!

そして、セテラの歌唱法は、感情の細やかな表現に重点を置いたものでした。特に恋愛をテーマにしたバラード楽曲において、彼の歌声は聴く者の心に直接響く力を持っていました。また、彼はスタジオワークにおいても完璧主義者で、一つの楽曲に対して何十テイクも録音することで知られていました。

第三期以降:複数ボーカリスト時代(1985-現在):多様性の探求

ピーター・セテラ脱退後のシカゴは、複数のボーカリストによる多様な音楽的アプローチを採用しました。ロバート・ラムの知的で洗練されたボーカル、そして様々なゲストボーカリストとのコラボレーションにより、バンドは新たな音楽的可能性を探求し続けています。

この時期の特徴は、過去の楽曲の再解釈と、現代的な音楽要素の導入です。オリジナルメンバーたちの経験と新しい感性の融合により、シカゴは常に進化し続けるバンドとしてのアイデンティティを確立しました。

ホーンロックの確立から現代への影響

革新的コンセプト:「ロックバンド・ウィズ・ホーンズ」の誕生

自称「ホーンズ付きロックンロールバンド」として始まった彼らは、当初は政治的に特色があり、時には実験的なロックバンドでしたが、後により洗練されたソフトなサウンドに移行し、数々のヒットバラードを生み出しました。

シカゴの最も重要な音楽的貢献は、ロックバンドにフルホーンセクションを本格的に導入したことです。これまでの音楽史において、管楽器はジャズやクラシック音楽の領域に属するものと考えられていましたが、シカゴはこの常識を打ち破りました。

彼らのアプローチの革新性は、単に管楽器を追加したことではなく、ギター・ベース・ドラムスという従来のロック編成と管楽器セクションを対等な立場で扱ったことにありました。トランペット、トロンボーン、サックスは装飾的な要素ではなく、楽曲の構造的核心を担う役割を与えられました。

初期の音楽的実験(1969-1973):芸術性と革新性の追求

デビューアルバム「Chicago Transit Authority」(1969年)から「Chicago VI」(1973年)までの時期は、バンドの実験的精神が最も発揮された黄金期でした。この時期の楽曲は、20分を超える長大な組曲形式の作品も含まれており、プログレッシブロックの要素も取り入れていました。

「25 or 6 to 4」は、この時期の代表作です。複雑なリズム構造、テリー・カスの革新的なギターワーク、そしてホーンセクションの壮大なアレンジメントが完璧に融合した本作は、ロック音楽の新たな可能性を示した名作!

また、「Beginnings」では、8分を超える演奏時間の中で、各楽器が対等に表現空間を与えられ、まさに「音楽的民主主義」とも呼ぶべき革新的なアンサンブルを実現していました。

商業的成功と音楽的洗練(1974-1985):ポップスとの完璧な融合

1970年代中期以降、シカゴは実験的要素を残しながらも、より親しみやすいポップス指向の楽曲制作にシフトしました。この変化は批判的に語られることもありますが、音楽史的に見れば、複雑な楽曲構造と商業的魅力を両立させた稀有な成功例でした。

「If You Leave Me Now」(1976年)は、この時期の完璧な成果でした。ピーター・セテラの美しいボーカル、洗練されたホーンアレンジメント、そして深い感情表現が融合した本作は、全世界でナンバーワンヒットとなり、シカゴの名前を地球規模で知らしめました。

プロデューサーのデビッド・フォスターに統制を委ね、1982年の「Chicago 16」から始まり、グループは「If You Leave Me Now」などのピーター・セテラのバラードの以前の成功を参考にし、シングル志向のパワーバラードの巨人として生まれ変わりました。

ポスト・ピーター・セテラ時代(1985-2000):音楽的アイデンティティの再構築

ピーター・セテラ脱退後のシカゴは、新たな音楽的アイデンティティの確立を迫られました。この時期の特徴は、複数のボーカリストによる多様な音楽的アプローチと、オリジナルメンバーたちの創作面での復活でした。

ロバート・ラムが再び楽曲制作の中心となり、「Chicago 18」(1986年)から「Chicago 25」(1998年)までの時期は、バンドの音楽的成熟度が最も高まった時代として評価されています。特に「Will You Still Love Me?」や「Look Away」などの楽曲は、ピーター・セテラ時代とは異なる魅力を持つバラードとして、新しいファン層を獲得することに。

また、この時期はライブ活動に重点を置き、長年のファンとの絆を深めることに成功しました。オリジナルメンバーたちの演奏経験に裏打ちされた深みのあるパフォーマンスは、多くの音楽評論家から高く評価されました。

デジタル時代への適応(2000-2015):新しい音楽配信との融合

21世紀に入ると、シカゴは音楽配信の変化に積極的に対応しました。彼らのクラシック楽曲がデジタル配信で新しい世代に再発見される一方で、新しい録音技術を積極的に取り入れた楽曲制作も行いました。

「Chicago XXX」(2006年)から「Chicago XXXVI: Now」(2014年)までの時期は、現代的な音楽プロダクションとシカゴの伝統的なサウンドを融合させる実験的な取り組みが続けられました。特に、デジタル録音技術を活用したホーンセクションの音作りは、従来のシカゴサウンドをより鮮明で迫力のあるものにすることに成功しました。

より、AORな要素を感じられる素敵な仕上がり♪

シカゴが残したカルチャー

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商業的成就と社会的インパクト

アメリカのバンドの中でビルボードのシングルおよびアルバムチャートの成功においてビーチボーイズに次ぐ第2位であり、シカゴは最も長く続く最も成功したロックグループの一つであり、世界で最も売れているグループの一つで、1億枚以上のレコードを売り上げています。

この驚異的な商業的成功は、1970年代から80年代のアメリカ音楽文化の変遷を象徴的に表現しており、社会の音楽的嗜好の変化に大きな影響を与えました。

次世代アーティストへの影響

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シカゴが確立した「ホーンズ付きロックバンド」というコンセプトは、その後の多くのアーティストに影響を与えました。ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ、タワー・オブ・パワー、そして現代のセプテンバーやベッテ・ミドラーのバックバンドに至るまで、シカゴの音楽的DNAは受け継がれ続けています。

また、彼らの楽曲は現在でも世界中のジャズクラブやセッションで演奏され続けており、音楽教育の分野でも重要な教材として活用されています。特に、管楽器奏者にとって、シカゴの楽曲はロック音楽における管楽器の可能性を学ぶ最良の教科書となっています。

現代音楽界における位置づけ

2025年現在でも、シカゴは現役のツアーバンドとして活動を続けています

とくに近年のライブパフォーマンスでは、クラシックな楽曲と現代的なアレンジメントを巧妙に組み合わせ、長年のファンと新しいリスナーの両方を満足させる内容となっています。オリジナルメンバーたちの演奏経験に裏打ちされた深みと、新メンバーたちの新鮮な感性が融合することで、シカゴは常に進化し続けるバンドとしての地位を確立しているのが凄いですよね〜。

Chicago=永遠に響き続ける風の街からの音

1967年から2025年まで、58年間にわたって世界の音楽シーンを照らし続けているシカゴ。商業的成功の記録を超えて、音楽という芸術形式の無限の可能性を追求し続けた創造者たちの壮大な年代記でした。

テリー・カス時代の実験的で政治的なメッセージ性、ピーター・セテラ時代の商業的成功と音楽的洗練、そして現在に至るまでの継続的な進化。それぞれの時代が独特の魅力を持ち、異なる世代の音楽ファンたちの心を捉えて離しませんでした。

シカゴが確立した「ホーンズ付きロックバンド」というコンセプトは、今や音楽界における一つのジャンルとして確立され、世界中の音楽学校で教えられる基本概念となりました。しかし、彼らの最も重要な遺産は、音楽的革新だけでなく、「音楽に境界線はない」という哲学かもしれません。

1億枚を超える世界セールス、ロックの殿堂入り、そして数え切れないアーティストたちへの影響。これらの記録は確かに彼らの偉大さを物語っていますが、真の価値は統計では測れない部分にあります。それは、音楽を聴く人々の心に直接響く、純粋な音楽的感動の創造にありました。

現在もなお現役で活動を続けるオリジナルメンバーたち、そして世界中で続く新世代アーティストたちへの音楽的影響は、シカゴの精神が決して消えることなく受け継がれていることを証明しています。

風の街シカゴから始まった7人の若者たちの夢は、やがて世界中のコンサートホールを感動で満たす音楽的旋風となりました。そしてその響きは、これからも新しい世代のミュージシャンたちの心に火を灯し続けるでしょう。なぜなら、真の音楽の魂は、時代を超えて人々の心に永遠に響き続けるからです。

シカゴの活動は今なお続いていますが、ロバート・ラムの知的な楽曲構成、ホーンセクションの壮大な響き、そしてすべてのメンバーたちが注ぎ込んだ情熱は、今もなお世界中のスピーカーから響き続け、新しい音楽の可能性を切り開いています。

彼らの音楽を聴くたびに、私たちは改めて気づかされます。音楽の本質は、技術的な完璧さや商業的な成功だけでなく、人間の魂を揺さぶる純粋なエネルギーの伝達にあるということを。そして、その最も純粋な形での表現こそが、シカゴという音楽的革命が音楽史に刻んだ、消えることのない光跡なのです。

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