ボンジョヴィ、この名前を聞いただけで心躍る人は少なくないはず。
そう、アメリカンロックの象徴とも言える彼らの音楽は、歴代のBON JOVIメンバーの生き様そのもの!
「世界一カッコいいバンドといえば?」と聞かれたら、僕は間違いなくこの男たちを挙げます。
この記事では、ジョン・ボン・ジョヴィを筆頭に、各メンバーのプロフィールをまとめてご紹介するとともに、どのようにしてバンドが形成されたのか、そして彼らが音楽界にどれほどのインパクトを残してきたのかを考察していきます。
さらには、ボンジョヴィが映画界にもその影響を及ぼしていること、彼らがなぜ日本に深い愛情を抱いているのかも明らかに。
気になるバンドの元メンバーたち_特にリッチー・サンボラの存在がいかに大きかったかにも触れないわけにはいきません!
それでは、ボンジョヴィの魅力に満ちた世界の扉を開いていきましょう。
ボン・ジョヴィのメンバーを紹介(年齢・身長・若い頃・現在)
ジョン・ボン・ジョヴィ / Jon Bon Jovi(ボーカル)
項目 | 情報 |
---|---|
出生名や本名 | John Francis Bongiovi, Jr. |
担当楽器 | ボーカル、ギター |
身長 | 約175cm |
出身地 | ニュージャージー州パースアンボイ |
学歴 | セイヤヴィル・ウォー・メモリアル高校卒業 |
血液型 | 不詳 |
星座 | 魚座 |
生年月日と年齢
生年月日: 1962年3月2日
年齢: 計算中...
生い立ち:幼少期〜若い頃
ジョン・ボン・ジョヴィは音楽一家に生まれ(お父さんは美容師)、幼い頃から音楽が彼の生活の一部でした。
地元ニュージャージーのバンドで経験を積み、若くしてその才能を開花させます。彼の音楽キャリアは、高校卒業とほぼ同時に本格的なスタートを切ることに。
BON JOVIでの作詞作曲を担当した曲の代表作
「Livin' On a Prayer」、「Wanted Dead or Alive」、「Always」など、ジョンのペンから生まれた数々の楽曲は、主にギターを手に持ちながら書かれた曲と、ピアノを前にして書かれた曲とで印象が大きく違います。
もともと、弾き語りをベースとしたシンガーソングライター基質のため、歌詞と曲の骨格を同時に作り上げるスタイルは、彼が敬愛するブルース・スプリングスティーンの影響を強く感じます。
BON JOVIの楽曲の作詞作曲を担当した比率
ジョン・ボン・ジョヴィは、ボンジョヴィのオリジナル楽曲の約90%以上に作詞作曲で関わっています!
他のメンバーや外部ライターとの共作も多いのですが、「BON JOVIらしい曲」の出汁はジョンから滲み出てくるものといって間違いないでしょう。
ソロ名義での活動について
ジョン・ボン・ジョヴィはソロアーティストとしても成功を収めており、特に1990年にリリースされた「Blaze of Glory」はアメリカのBillboard Hot 100で1位を獲得しました。
※映画「ヤングガン2」のサウンドトラックのために制作されたこの曲を含む同名のフルアルバムには、ジョンが愛してやまないギタリスト“ジェフ・ベック”も大々的にレコーディングに参加し話題を呼びました
が、個人的には胸キュンソング「Janie, Don't Take Your Love To Town」を収録している「Destination Anywhere」の方がジョンそのものが色濃く出ており、BON JOVIとしての作品では見れない一面を垣間見えることが出来るので、ぜひ一聴していただきたい。
家族について
ジョン・ボン・ジョヴィは1989年にドロシア・ハーレイと結婚し、4人の子どもを持つ父親でもあります。
愛妻家としても知られるジョンは、忙しい音楽活動の中でも家族と過ごす時間を重視しているようで素敵ですね!
その他、逸話や伝説など
ジョン・ボン・ジョヴィは音楽界での成功だけでなく、その慈善活動でも高く評価されています。
特に注目すべきは、彼が設立した「ジョン・ボン・ジョヴィ・ソウル財団」によるプロジェクトの一環として運営しているレストラン「Soul Kitchen」です。
このレストランは、支払い能力に関係なく全ての人々に食事を提供するというユニークなコンセプトを持っています。客は能力に応じて食事代を寄付するか、ボランティアとして働くことで食事を得ることができるのです!
「Soul Kitchen」は、コミュニティへの貢献という形で社会問題に取り組むジョン・ボン・ジョヴィの姿勢を象徴していますね。
このレストランはニュージャージー州に2箇所あり、数多くの家族や個人に食事を提供してきました。彼は「食事は権利であって特権ではない」という信念のもと、食品不足に苦しむ人々を支援し続けています。
社長、カッコ良すぎる!
デヴィッド・ブライアン / David Bryan(キーボード)
項目 | 情報 |
---|---|
出生名や本名 | David Bryan Rashbaum |
担当楽器 | キーボード、ピアノ |
身長 | 約178cm |
出身地 | ニュージャージー州エディソン |
学歴 | ラトガース大学中退 |
血液型 | 不詳 |
星座 | 水瓶座 |
生年月日と年齢
生年月日: 1962年2月7日
年齢: 計算中...
生い立ち:幼少期〜若い頃
デヴィッド・ブライアンはニュージャージー州で生まれ育ち、幼少期から音楽に深い興味を持っていました。
7歳でピアノを始め、ティーンエイジャーの頃には既に多くのバンドで演奏して実戦経験を積む。
そしてその音楽への情熱は、ハイスクール時代にジョン・ボン・ジョヴィとの運命的な出会いへと繋がります。
BON JOVIでの作詞作曲を担当した曲の代表作
デヴィッド・ブライアンは「In These Arms」や「Wild Is The Wind」など、ボンジョヴィの数々の楽曲に作詞作曲で貢献しています。雑味を一切感じない、澄み切った空のような作曲センスが特徴ですね。
BON JOVIの楽曲の作詞作曲を担当した比率(割合)
デヴィッドがバンドの楽曲に作詞作曲で関与した割合は全体の約20%程度です。
キーボードやピアノ、作詞作曲の特徴とバンド内での役割
デヴィッド・ブライアンのキーボード演奏は、一言でいうと「爽やかなアプローチ」「踊り弾けるようなスパークリング感」が特徴と言えます。
また、もともとジュリアード音楽院の教師からクラシックピアノも専門的に学んでいたこともあり、デリケートな和声の扱いについても丁寧な仕事ぶりが伺えます。
ソロ名義での活動について
デヴィッド・ブライアンはソロアーティストとしても活動しており、特にミュージカルの作曲家として成功を収めています。彼はトニー賞を受賞したミュージカル「Memphis」の音楽を担当しました。
ON A FULL MOONでは、生ピアノで伸び伸びと演奏するデヴィッドを堪能できます
その他、逸話や伝説など
デヴィッド・ブライアンは音楽業界での成功に留まらず、音楽教育への貢献や慈善活動にも力を入れています。
若い音楽家たちをサポートするための奨学金プログラムを設立するなど、次世代のアーティスト育成にも熱心です!
ティコ・トーレス / Tico Torres(ドラム)
項目 | 情報 |
---|---|
出生名や本名 | Hector Juan Samuel Torres |
担当楽器 | ドラム・パーカッション |
身長 | 約172cm |
出身地 | アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク |
学歴 | 詳細不明 |
血液型 | 不詳 |
星座 | 天秤座 |
生年月日と年齢
生年月日: 1953年10月7日
年齢: 計算中...
生い立ち:幼少期〜若い頃
ティコ・トーレスはニューヨークの音楽愛溢れる環境で育ちました。
彼が初めてドラムセットに触れたのは、まだ幼い頃。
地元のクラブやバックバンドでプレイするうちに、豪快で卓越したリズム感とドラムへの献身が注目を集めるようになります。
ドラムの特徴とバンド内での役割
ティコのドラムプレイは「ヒットマン」という愛称のように、そのパワフルさと精緻さで知られています。
ボンジョヴィの楽曲において、ドラムは一打一打に重量感を込めてあることが多く、曲の説得力が異常に高いのはティコのドラミングのおかげでもある。
音楽以外での活動について
ティコ・トーレスは、個展を開くレベルの本格派の画家としても活動していたり、「Rock Star Baby」という子供服ブランドを立ち上げるなど、ファッションデザイナーとしての顔も持ちます。
以外な一面過ぎますが、音楽における拘りの強さにも彼のアーティスト基質なところが垣間見えます。
※デジタルレコーディングが一般的な今日でも、ティコは音質に温かみと説得力を持たせるために必ず最初にアナログで録音するという拘りっぷりです!
家族について
ティコ・トーレスは、アレハンドラ・トーレスと結婚しており、彼女との間に子供がいます。
あまりプライベートな情報は見当たらずです...
その他、逸話や伝説など
ティコ・トーレスは、音楽やアートの世界での功績だけでなく、その人間性でも多くの尊敬を集めています。
彼は慈善活動にも熱心で、特に子供たちの支援に力を入れています。
また、彼の温かい人柄やステージ後方からメンバーを包み込む懐の広さは、ファンだけでなくバンドメンバーからも愛されている理由の一つです。
ヒュー・マクドナルド / Hugh McDonald(ベース)
項目 | 情報 |
---|---|
出生名や本名 | Hugh John McDonald |
担当楽器 | ベース |
身長 | 公表なし |
出身地 | フィラデルフィア、ペンシルベニア州 |
学歴 | 音楽教育に関する詳細な情報なし |
血液型 | 不詳 |
星座 | 山羊座 |
生年月日と年齢
生年月日: 1950年12月28日
年齢: 計算中...
生い立ち:幼少期〜若い頃
ヒュー・マクドナルドは、幼少期から音楽に興味を持ち、特にロックとブルースに影響を受けました。
フィラデルフィアの地元バンドで演奏を始め、その職人肌のベースプレイで注目を集めるようになります。
ベースの特徴とバンド内での役割
ヒュー・マクドナルドのベースプレイは、その正確無比なリズム感とメロディックなラインで知られています。
ボンジョヴィでは、彼のベースが楽曲の土台を支え、曲に深みを与えています。
派手なフレージングやテクニックを多用せずとも、歌のメロディーとコードのシンクロ率を上げる力量はトップレベルのスタジオミュージシャンでもなかなか真似できないでしょう。
ボンジョヴィ以外での活動について
ヒュー・マクドナルドはボンジョヴィ加入前から、多くのアーティストのセッションミュージシャンとして活動してきました。
一例として、アリス・クーパーやリッチー・サンボラなど、著名なミュージシャンのアルバムに参加し、そのヴァーサタイルな演奏スタイルで幅広いジャンルの音楽に貢献しています。
その他、逸話や伝説など
長らくサポートミュージシャンとしてのポジションだったヒュー・マクドナルドは、2016年からボンジョヴィの正式メンバーとなりました。
最年長であり百戦錬磨のセッションマンの経験を持つ音楽性や、的確な振る舞いで安定感を与えるという人間性からも、BON JOVIには無くてはならない存在!
フィル・X / Phil X(ギター)
項目 | 情報 |
---|---|
出生名や本名 | フィリッポス・スパーティノス・ゼノヴィオス・テオドロポウロス |
担当楽器 | ギター |
身長 | 公表なし |
出身地 | トロント、オンタリオ州、カナダ |
学歴 | 具体的な学歴は公表されていません |
血液型 | 不詳 |
星座 | 魚座 |
生年月日と年齢
生年月日: 1966年3月10日
年齢: 計算中...
生い立ち:幼少期〜若い頃
フィル・Xはカナダのトロントで生まれ育ち、幼い頃からギターに興味を持ち始めました。
まだ10歳の頃からギターを弾き始め、若くして地元のバンドでプレイするように。
その才能はすぐに周囲の注目を集め、当然のように音楽業界でのキャリアをスタートさせました。
BON JOVIでの作詞作曲を担当した曲の代表作
フィル・Xはボンジョヴィ加入後、リッチー・サンボラの後任としてバンドのサウンドに新たなエネルギーをもたらしました。
ボンジョヴィでの彼の作詞作曲の貢献は、アルバム"This House Is Not for Sale" で聴くことが出来ます。
ギター、作詞作曲の特徴とバンド内での役割
フィル・Xのギタープレイは、ダイナミックさとテクニカルなスキルを両立させている点に注目が集まっています。
(フィル加入前の歴代のボンジョヴィ楽曲の演奏でも)リッチーの名演を活かしつつ自然にオリジナリティーも加えていくスタイルは、フィル自身もボーカリストとして活動している点でも、リッチーとの共通点が見受けられるので納得です!
ボンジョヴィ以外やソロ名義での活動について
フィル・Xは、The Drillsという自身のバンドを持ち、複数のアルバムをリリースしています。
また、アヴリル・ラヴィーンやケリー・クラークソンなど多くのアーティストのセッションギタリストとしても活躍しています。
その他
フィル・Xはそのユーモアのセンスと親しみやすい人柄でファンからも愛されています。
彼のYouTubeチャンネルでは、ギターテクニックや音楽業界での経験に関する貴重な洞察を共有しており、若いミュージシャンにとって貴重なリソースとなっています。
まさに、ギター小僧にとっての頼れるアニキという感じ!
BON JOVIとは?アメリカン・ロックの象徴
バンドの結成
1983年、ニュージャージーの小さな町。
ジョン・ボン・ジョヴィは、音楽への夢を胸にロックバンドを結成します。
彼らは地元のクラブで演奏を始め、徐々にその名を広めていきました。バンド名の「ボンジョヴィ」は、フロントマンであるジョン・ボン・ジョヴィの名前から取られましたが、これは単なる偶然ではなく、運命のようなものだったのかもしれません。
世界的な成功
初めは地元のクラブでの演奏が中心だった彼らですが、デモテープを作成したあとに若くしてデビュー。
その後は着実にファンを拡大していき、1986年にリリースされた『Slippery When Wet』が大ヒット。
特に「Livin' On a Prayer」は、今もなお多くの人に愛されるロックアンセムとなりました。
このアルバムは彼らを世界的なスターダムへと押し上げ、ボンジョヴィの名は世界中に轟くこととなります。
トータルセールス、受賞歴、チャート、その他
- トータルセールス: ボンジョヴィは世界中で1億3000万枚以上のアルバムを売り上げています。これは、ロックバンドとしては驚異的な数字です。
- 『Slippery When Wet』: 1986年にリリースされたこのアルバムは、全世界で2800万枚以上を売り上げ、アメリカのBillboard 200で1位を獲得。シングル「Livin' On a Prayer」や「You Give Love a Bad Name」もBillboard Hot 100でそれぞれ1位に輝きました。
- 『New Jersey』: 1988年のこのアルバムも大ヒットし、全世界で1800万枚のセールスを記録。Billboard 200で1位を獲得し、「Bad Medicine」、「I'll Be There for You」などのヒット曲を生み出しました。
- グラミー賞: 彼らはグラミー賞に数回ノミネートされ、2007年に「Who Says You Can't Go Home」で最優秀カントリー・コラボレーション・ウィズ・ボーカル賞を受賞しています。
- その他の賞: アメリカン・ミュージック・アワードやMTVヨーロッパ・ミュージック・アワードなど、数多くの音楽賞を受賞してきました。
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音楽性 - やはりリッチー在籍時代が最強説
ボンジョヴィの音楽性は、力強いロックンロールとルーツミュージックにメロディアスなポップスを融合させたもので、テーマをしても「人生」「神様」のような切り口が多く、人生の喜びも悲しみも全てを包み込むような深い響きを持っています。
ジョン・ボン・ジョヴィのハスキーボイスの魅力
ジョン・ボン・ジョヴィのハスキーで情熱的なボーカルは、耳ではなく直接ハートを捉えて、曲のメッセージを力強く伝えます。
ジョンの声には、人生の挑戦とそれに立ち向かう勇気を感じさせる力があり不思議ですね。
リッチー・サンボラの歌心溢れるギターとコーラスハーモニーの魅力
リッチー・サンボラのギタープレイとボーカルは、ボンジョヴィのサウンドのもう一つの柱です。
そのメロディックで情感豊かなギターソロは、楽曲に深みとドラマティックさを加えてジョンのボーカルと完璧に調和します。
また、リッチーのコーラスワークは並外れた威力があり、その辺りのリードシンガーより声量もあります。
そしてスティービー・ワンダーのようなソウルフルな歌い方も特徴的で、声のスウィートスポットも自由自在にコントロールできるという力量の持ち主。
ジョン&リッチーのソングライティング
ジョン・ボン・ジョヴィとリッチー・サンボラのソングライティングコンビは、ボンジョヴィの成功の鍵を握っています。
二人が生み出す楽曲は、愛、希望、喪失、挑戦など、普遍的なテーマを扱いながらも、聴く者の心に強く響きます。
サイモン&ガーファンクルやポール・マッカトニー&ジョンレノンのように、多くのヒット曲がその2人の才能のコラボの証となっています。
ボンジョヴィの音楽性は、ジョンの感動的なボーカル、リッチーの魂を揺さぶるギターとハーモニー、そして二人の深いソングライティングから成り立っています。
ジョン・ボン・ジョヴィと映画
ジョン・ボン・ジョヴィがただのロックスターで終わらないことは、彼が映画界にも積極的に進出を試みた経歴からも見て取れます。
スクリーン上で様々な役を演じ、俳優としての評判もなかなかのものです。
『ヤングガン2』
まずは「ヤングガン2」。この映画では、彼は俳優としてではなくサウンドトラック「Blaze of Glory」で参加しています。
この曲は、映画の雰囲気を完璧に捉えた、砂埃が舞うような荒野のバラード。ジョンの声とギターが、西部劇の世界を現代に蘇らせます。
『ムーンライト&ヴァレンチノ』
映画「ムーンライト&ヴァレンチノ」では、彼はペインター役で出演。
この作品でジョンは、ただのミュージシャンではなく、紛れもない演技力を持ったアーティストであることを証明しました。
繊細な演技はしっとりとした物語に深みを加えており、新たなファン獲得にも繋がりました。
『妻の恋人、夫の愛人』
さらに、「妻の恋人、夫の愛人」では、ジョンは家族ドラマの中で複雑な役柄を見事に演じ切りました。
ネタバレするのであまり内容は書きませんが、見事にハマり役でナチュラルな演技力にびっくり!
「ノー・ルッキング・バック」では、ジョンは再び俳優としての才能を発揮。彼の演じるキャラクターは、観る者の心に深く刻まれることでしょう。
その他の作品
ジョンは「U-571」や「ペイ・フォワード 可能の王国」、「ニューイヤーズ・イブ」「ノー・ルッキング・バック」といった作品にも出演し、それぞれの役で異なる魅力を見せています。
スクリーンでの活躍は、ジョンの多才ぶりさ再認識できるだけでなく、俳優としての経験がボンジョヴィの音楽にもさらなる味わいと深みを与えてくれることに繋がっているでしょう。
ボンジョヴィは日本びいき?
ボンジョヴィと日本、これはただの音楽バンドと国の関係ではありません。
彼らの音楽が日本のファンに届いて以来、この特別な絆は年々深まってきました。
では、なぜボンジョヴィは「日本びいき」と言われるのでしょうか?
その理由は、彼らの日本への愛と尊敬に溢れた行動にあるのです。
特別な関係の始まり
日本でのボンジョヴィの人気は、1980年代に彼らの音楽が日本中に鳴り響き始めた時から加速しました。
初めて日本を訪れた時、バンドは日本のファンの熱狂的な歓迎に驚き、同時に感動したそうです。
それ以来、彼らは日本を「第二の故郷」と公言するほど、この国とその文化を深く愛するようになりました。
日本への敬意
ボンジョヴィは、日本のファンだけでなく、日本の文化や伝統にも深い敬意を払っています。
彼らのコンサートでは、しばしば日本の文化を取り入れた演出がされ、ファンとの交流にも積極的です。
また、日本の災害時には支援の手を差し伸べるなど、困難な時でも日本の人々と心を一つにしています。
日本独自のサプライズ
ボンジョヴィは日本のファンのために、他では見られないような特別なサプライズを用意することも。
日本限定のアルバムリリースや、日本のファンのためだけの秘密のライブなど、彼らの「日本びいき」は音楽を通じて明確に表れています。
愛され続ける理由
何年もの間、バンドの調子が悪いときも、日本のファンはボンジョヴィの音楽を支え続けてきました。
その応援に応えるように、ボンジョヴィもまた、日本への感謝を形にしてきました。
BON JOVIという存在が日本のファンにとって特別なものであり続ける理由は、単に音楽の魅力だけではなく、この深い相互の尊敬と愛情にあるのです。
ボンジョヴィの旧メンバー
リッチー・サンボラについて
生年月日と年齢
生年月日: 1959年7月11日
年齢: 計算中...
復帰も間近!?
リッチー・サンボラはボンジョヴィの魂とも言える存在でした。
1983年から2013年までバンドのリードギタリストとして活躍し、ほとんどのヒット曲を共同作成。
正式メンバーから抜けたという事実は、ファンにとって悲しい一大ニュースでしたが、2023年にはボンジョヴィへの復帰も前向きに考えているとの発言もあり、古くからのファンはリッチーのカムバックを首を長くして待っています!
また、彼のソロプロジェクトには、アルバム『Stranger In This Town』や『Aftermath of the Lowdown』などがあり、ギタリストのオリアンティと結成したプロジェクト「RSO」でも勢力的な活動を行いました。
しかし本心を言うと、一刻も早くボンジョヴィのギタリストとして戻ってきて、また世界を沸かせて欲しい...
アレック・ジョン・サッチについて
アレック・ジョン・サッチは、ボンジョヴィのオリジナルベーシストで、1983年から1994年までバンドに在籍。
ボンジョヴィを脱退してからは、好きだったハーレー繋がりでバイクショップを経営していましたが、残念ながら2022年6月5日に70歳で亡くなりました。
アレックはボンジョヴィの初期の5枚のアルバムに参加し、その大味でアメリカンなプレイは初期のボンジョヴィサウンドの要だったと言えます。
デイヴ・セイボについて
デイヴ・セイボは、ボンジョヴィの創成期にギタリストとして参加し、後に「Skid Row」を結成してハードロックシーンで名を馳せました。
正確には、リッチー・サンボラが「俺がこのバンドに入る」と豪語したため、リッチーと入れ替わったのですが(笑)
ボンジョヴィのメンバーが語り続ける「愛・希望・夢」
ボンジョヴィというバンドは、まるで一冊の冒険小説のような物語を持っています。
彼らの旅は、小さなニュージャージー州の田舎町から始まり、世界中のスタジアムを満たすまでに至りました。
まだ旅の途中ですが、ボンジョヴィのメンバーが曲に込めて歌っているのは、人間に必要な愛情や希望、そして夢を持つことの大切さなど、人生の本質を語ったものがほとんどです。
僕が彼らのファンで有り続けるのは、
・ありのままで真っ向勝負しているところ
→今の世の中、MVのインパクトやファッション性や声の加工など、本来のミュージシャンの価値と違う部分で目立とうという姿勢やハリボテ感があるアーティストやバンドが多い中、ボンジョヴィは下手な小細工は一切なし!
・リスナーに問いを与えてくれるところ
→楽曲タイトルや歌詞が、世相を捉えたものが多く、人生を強く生き抜くための問いを含んでいます。
・困難に直面した際の、エールや応援歌として最高
→僕自身、ボンジョヴィの音楽に何度救われたかわかりません。どんなときにも希望を持ち続けることの大切さを思い出させてくれる強烈なパワーを秘めた音楽の宝庫です!
という理由からです。
ジョンも、ここ数年は以前のようなハイトーンが出せなくなってちょっと辛そうだなと思います。
それでもスタジオ入りし、ステージに立ち、今の自分に出来ることに全力を尽くすというところが最高にカッコいいんですよね。
円熟味を増したBON JOVIのこれからにも大注目して応援していきましょうね!
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