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ロック

【ロックスターの頂点】デヴィッド・ボウイのかっこよすぎる生涯

デヴィッド・ボウイのイメージ

破天荒な探求者デヴィッド・ボウイ 〜音楽界の革命児が切り開いた新たな境地〜

芸術は常に時代の最先端を行く。
そこに身を置いたアーティストの中でも、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)ほど過激で刺激的な人物はいないだろう。

世界中から熱狂的な支持を受けた"変幻自在のロックスター"は、音楽という枠を超えて、ファッション、性、アイデンティティーの概念さえ一新した。

この世に存在する色彩の数以上にカラフルな人生を生きた、David Bowieのかっこよすぎる生涯に迫ってみよう。

デヴィッド・ボウイの生い立ちと初期のキャリア

子供時代と音楽への目覚め

ボウイことデヴィッド・ロバート・ジョーンズは1947年1月8日にロンドンで生まれました。

幼少期から音楽に強い興味を持ち、特にジャズに夢中でした。彼が9歳の時、サクソフォーンを手に入れ、音楽の世界への一歩を踏み出す。意外にもこの管楽器が彼の人生を変える第一歩だったのです。

初期のバンド活動とソロデビュー

1960年代の初め、ボウイは様々なバンドに参加し、ロックンロールの熱狂に乗り遅れまいと地元のクラブで演奏に明け暮れる。

その後、1967年に自身の名前をデヴィッド・ボウイに改め、ソロアーティストとしての道を歩み始めることに。
彼の最初のシングル「Space Oddity」は1969年にリリースされ、月面着陸のタイミングと相まってムーンウォッチャーの熱狂をあおり大ヒットとなりました。

サイケデリック・ロックに影響を受けたその音楽性は、初期の代表曲「The Man Who Sold The World」にも現れている。身のこなしの女性的な佇まいと、ロックの王道からはみ出る挑発的な歌詞が、早くから異端児としての覚悟を示していた。

ジギー・スターダストとグラムロックの時代

ジギー・スターダストの誕生

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ワーナーミュージックジャパン

1972年、ボウイは自身のアルターエゴ(別人格)であるジギー・スターダストを発表。
※このアルバムはデヴィッド・ボウイの名盤の中でも特に高い評価を得ています

このキャラクターは、未来から来たエイリアンロックスターという設定で、彼のパフォーマンスはまさに革命的!
ジギー・スターダストとしてのライブパフォーマンスは、当時の音楽業界に大きな衝撃を与え、またたく間に多くのファンを魅了しました。

グラムロックムーブメントへの火付け役

狙っていたのか偶然なのか、ボウイはジギー・スターダストを通じて「グラムロック」という新たな音楽ジャンルを広めることになりました。

スパンデックスの衣装に身を包み、ゴージャスで女性的な化粧を施した彼の姿は、まるで宇宙からの使者のようだった。
ジギー演出した数多のステージは、観客を熱狂の渦に巻き込む。

パンク精神の先駆けとなったグラムロックは、まさにこの"ジギー現象"から生まれたのである!
ボウイはグラムロックの教祖的存在となり、この時期の彼の活動は音楽史において非常に重要な位置を占めています。

カッコ良すぎ!革新的な音楽と映像作品

「Low」から「Heroes」までの実験的作品

ボウイのキャリアの中で特に注目すべきは、1970年代後半に制作された「ベルリン三部作」です。

彼はこの時期、ブライアン・イーノと共にベルリンに移り住み、「Low」、「Heroes」、「Lodger」という三部作を発表。
電子音楽やアンビエントの要素を取り入れた実験的な作品であり、後の音楽シーンに多大な影響を与えました。

既存の音楽の枠組みを打ち破る極めて実験的な作品群には、ボウイ独自のアート性が随所に散りばめられ、聴くひとをこれまで経験したことのない異空間に導いたのです。

映像作品と映画出演

ボウイは音楽だけでなく、映画や映像作品にも積極的に参加していることでも有名です。

代表作のひとつに、1986年の映画「ラビリンス/魔王の迷宮」がありますが、この映画では彼のカリスマ性と演技力が存分に発揮され、シエマ界隈やクリエイティブ界隈からも賞賛の嵐を受けることに。

また、彼のMVも非常に斬新で視覚的にも魅力的なものが多く、デヴィッド・ボウイという人間がアートや表現を高い次元で多面的にとらえていたことが伺えます。

パーソナルライフと変貌

ファッションアイコンとしてのボウイ

デヴィッド・ボウイは、その音楽だけでなく、その突出したファッションセンスでも注目を集めました。

彼の独特かつ心を奪って離さないスタイルは、時代を超えて多くの人々に影響を与え続けています。
彼のファッションは常に果敢で先進的で、時には奇抜とも言えるものでしたが、それがボウイの魅力の一つでもありました。

先にボウイのルックスに惹かれ、そのまま彼の音楽を含めた世界観にハマっていくというファンも多かったのです。

パーソナルライフとスキャンダル

ボウイの私生活は公私ともに波乱に満ちていたことでも知られています。

彼の結婚生活やスキャンダル、そして自身のアイデンティティに対するオープンな姿勢は、彼の極めて人間的な側面を浮き彫りにしました。
その正直で率直な生き方は、多くの人々に勇気を与えることにも繋がり、結果として新たなファン獲得と熱狂的な信者の心酔ぶりをより強固なものにしたのです。

最後のアルバム「★(ブラックスター)」と遺産

「ブラックスター」の制作背景

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ソニーミュージックエンタテインメント

2016年1月に67歳の生涯を閉じた最期のアルバム「ブラックスター」は、まさにその軌跡の集大成といえよう。

このアルバムは、彼の死のわずか2日前にリリースされ、彼の最後のメッセージとして多くの人々の心に深く刻まれました。
アルバムには、晩年の音楽的な探求心と革新性が詰まっており、まさにボウイの遺産にふさわしい作品です。

音楽界への影響と遺産

ステージ上の彼はカメレオン的な存在で、姿形を変えては新しい衝撃を観客に与え続けた。

しかしその一方で、ボウイ本人は常にストレートな人物だった。濡れ衣を着せられたり、波乱に満ちた私生活をさらけ出しつつ、自身のアイデンティティを正直に表現し続けた。

これらすべては、時代に囚われない芸術家の在り方を象徴していたといえる。
変遷と多様性を全身で表現した芸術家ボウイ。その遺産は、次世代のミュージシャンに常に模範を示し続けることでしょう!

デヴィッド・ボウイに影響を受けたアーティストや著名人

デヴィッド・ボウイの影響力は、音楽界だけにとどまりません。その革新的なスタイルと多彩な表現は、世界中のアーティストや著名人に深い影響を与えました。ここでは、ボウイに影響を受けた代表的なアーティストや著名人を紹介します。

レディー・ガガ

レディー・ガガは、ボウイからの影響を公言しているアーティストの一人です。

彼女の大胆なファッションや変幻自在のステージパフォーマンスは、ボウイのスタイルを彷彿とさせます。ガガ自身もボウイを「永遠のインスピレーション」として尊敬しており、2016年のグラミー賞では、ボウイに敬意を表して彼の楽曲メドレーをパフォーマンスしました。

マドンナ

ポップ界の女王マドンナも、デヴィッド・ボウイの影響を強く受けたアーティストです。

彼女のキャリアを通じて、常に新しいスタイルや音楽を取り入れ、自らを再発見し続ける姿勢は、ボウイの影響を感じさせます。マドンナはボウイを「真の先駆者」と呼び、その芸術的なビジョンに対する敬意を公に示しています。

カート・コバーン

ニルヴァーナのフロントマン、カート・コバーンもボウイのファンとして知られています。

特にアルバム「The Man Who Sold the World」はコバーンにとって重要な作品であり、ニルヴァーナのMTVアンプラグドのパフォーマンスでカバーされたことは有名です。コバーンは、ボウイの音楽的な多様性とその大胆なアプローチに強く影響を受けました。

椎名林檎

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ユニバーサル ミュージック

日本のアーティスト、椎名林檎もデヴィッド・ボウイからの影響を公言しています。

彼女の音楽やビジュアル表現には、ボウイの影響が色濃く反映されています。椎名林檎は、自身のアーティスティックなアプローチや変幻自在のスタイルを通じて、ボウイの精神を継承しています。

ティルダ・スウィントン

女優ティルダ・スウィントンは、ボウイとの共通点が多いことで知られています。

彼女の中性的な魅力と独特な存在感は、ボウイを彷彿とさせます。実際に、彼女はボウイのミュージックビデオ「The Stars (Are Out Tonight)」に出演しており、彼らの共演は多くのファンにとって印象的なものでした。

ブライアン・モリス

ファッションデザイナーのブライアン・モリスも、デヴィッド・ボウイのスタイルに大きな影響を受けました。
彼のデザインには、ボウイのエッジの効いたスタイルや斬新なアイデアが反映されており、ボウイのファッションセンスを現代に引き継いでいます。

クイーンとの友好関係

デヴィッド・ボウイとクイーンの関係は、音楽史における一つのハイライトです。
彼らの友情とパートナーシップは、音楽界において重要な出来事として刻まれています。

「アンダー・プレッシャー」の誕生

1981年、デヴィッド・ボウイとクイーンは一緒に「アンダー・プレッシャー」を制作。

この曲は、偶然のセッションから生まれたもので、結果的に両者の代表的なヒット曲の一つとなりました。ボウイとクイーンのフロントマン、フレディ・マーキュリーは、スタジオでの即興的なセッションを通じて、この象徴的な曲を作り上げる。二人の才能が融合したことで、「アンダー・プレッシャー」は今なお愛されるロッククラシックとなっています。

共通の芸術的ビジョン

ボウイとマーキュリーは、音楽だけでなく、パフォーマンスやビジュアル表現に対する共通の情熱を持っていました。

彼らは共に、ステージ上でのカリスマ性と独創的な演出で知られており、それぞれのライブパフォーマンスは常に観客を魅了していました。どことなく似通っている二人のアーティストは、その個性的なスタイルと革新的なアプローチで、音楽業界に多大な影響を与えました。

友情と尊敬

デヴィッド・ボウイとフレディ・マーキュリーの間には、深い友情と相互の尊敬がありました。彼らはお互いの才能を高く評価し、インスピレーションを与え合う関係だったことで知られています。

ボウイは、マーキュリーの圧倒的なボーカル力とステージプレゼンスを称賛し、マーキュリーもまた、ボウイの独自の音楽スタイルとクリエイティブなビジョンに感銘を受けており、よき友人であるとともによきライバルだったことが伺えます。

まとめ:デヴィッド・ボウイのかっこよさ

デヴィッド・ボウイは、音楽、ファッション、パフォーマンスにおいて、常に先駆的でカッコよかった。
そう、ロックにおいてはカッコ良さこそ、全てなのです。

彼の音楽は、常にジャンルの枠を超えて革新的であり、ロックの地平を何度も切り開いた生粋の異端児だった。

舞台やミュージックビデオでのパフォーマンスでは、スパンデックスの衣装に女性的な化粧を施し、まるで宇宙からの使者のように登場。観客を熱狂の渦に巻き込んだ。ファッションにおいても、斬新でゴージャスなスタイルは一世を風靡。

プライベートでも、波乱に満ちた結婚生活やオープンなセクシャリティなど、自身のアイデンティティを正直に表現し続けた姿勢がカッコよかった。常に新しいものを追求し続ける姿は、クリエイターとしての在り方そのものを体現していた。

最後のアルバム「ブラックスター」は彼の探究心と多様性を象徴する集大成となり、アーティストとしてピークのまま逝けたことも、ボウイ自身は天国で「アーティスト冥利に尽きる」と言っているだろう。
デヴィッド・ボウイとは、音楽を超えて芸術そのものを変革した、まさに「スター」の頂点であり不滅の「レジェンド」なのだ。

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